2013年7月25日木曜日

HICPMによる”まちづくり”開発に対する取組みの概要



住宅生産性研究会(HICPM:理事長戸谷英世)が発行しているメルマガを転載させて頂きました。
建設省で都市・住宅開発を研究・経験された戸谷理事長ならではの視点で,日本の進むべき道が示されていると思います。

日本の都市開発,住宅地開発,まちづくりのあり方を客観的に考えることができます。
できる限り,専門用語は関連サイトにリンクさせました。

尚,下記HICPMのホームページから,まちづくり,都市開発,住宅づくりに関する多種多様な情報を見ることができます。また,メルマガの配信を申込むこともできます。
http://www.hicpm.com/

日本の都市計画とまちづくり,そして住宅造りはこのような考え方でいくべきだと考えております。ご活用下さい。
青の小文字は補足説明です。アンダーライン部分はリンクしています。
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DSC00158メールマガジン第378号(2010年11月15日)

みなさんこんにちは

先週は「三種の神器」関係の小規模な個人セミナーを3回も実施し、住宅地経営をめぐってニューアーバニズムによる住宅地計画の技術と、リースホールドにする場合の土地管理団体の設立のための相談など、住宅地経営管理関係の仕事が目白押しに続きました。

その中で重要な問題に関し、なぜ、HICPMに技術を学びにくるのかという理由は、欧米の住宅地開発を紹介して来たこれまでの努力が一定の具体的成果が表れてきたからだと思います。それは私の住宅地開発との取り組みと不可分の関係があると思います。そこで、これまでの私の個人史を含む「HICPMによる都市開発に対する取り組みの概要」をご説明いたします。
「三種の神器」住宅の資産価値を向上させ続けるためには、住宅地が常時、売り手市場として経営管理される必要がある。そのためには、住宅地のハードのルール(マスタープランと建築設計指針)と計画されたとおりのソフトなルール、罰則規定を都市空間の利用のための強制規程として、住民に遵守させる統治機構(HOA)をもつことが、肝要である。ルールは最終的に遵守が強制させられなければ効力を持たない。


『リースホールド』借地で事業をするとき政府が進めている定期借地権制度によらないで、㈱大建は何故、欧米のリースホールドにしたのか。それは、日本の借地借家法による定期借地制度では、50年の定期借地期限がきたとき、住宅所有者は建てられた住宅は取り壊し、更地にし、地主に土地を返還することを義務付けています。つまり、50年後には建設廃棄物になる住宅不動産をつくっているのが定期借地制度です。そのため、定期借地権つき住宅は、住宅を建設したときから50年後に住宅を取壊すときまで一貫して資産価値は減少し続け、最後は、住宅の取り壊し費用の負担という損失が残ります。
一方、㈱大建でやっているリースホールドは、民法で定められた「契約自由の規定」を根拠に、日本の定期借地制度と喧嘩をしないで、契約を優先して実施するものですから、政府もいちゃもんをつけられません。99年の定期借地権が切れたとき、住宅は㈱大建のものになりますが、居住者はその後も同じ住宅に継続的に借家人として住み続けることができます。勿論、地主の財産になった住宅を借地人が買い戻すことも可能です。リースホールドによる住宅地は、居住者によるコミュニティが半永久的に育ていき熟成し続けます。

都市開発と私の個人史


私は建設省に入省してから、当時日本の最先端として都市開発を推進してきた日本住宅公団の技術者から団地開発の近隣住区理論と実践を学び、全国の市町に区画整理事業との合併事業を含む住宅地区改良事業(スラムクリアランス)での再開発(札幌:光星、広島:元町、京都:崇仁、下関;竹崎、神戸:番町、大阪:愛隣、東京:堤方等)を、国庫補助事業の指導を通して全国100弱の改良地区で実践したことに始まります。

インドネシアで3年間、日本住宅公団で検証された「施設計画論」を、日本住宅公団から派遣された石黒さん(高蔵寺ニュータウンの設計者:津端さん、つくばニュータウンの設計者:土肥さんの系列の経験を継承した設計者で、つくばニュータウンでがんばっていた)を中心に、建設省から派遣された長谷川さんと私が協力して、インドネシアの状況に読み替えて適用する大規模住宅団地開発計画に参加しました。

また、宅地開発公団と日本住宅公団との合併後の住宅都市整備公団で、創設以降5年間都市開発調査課長として合併公団の矛盾した事業手法の間で、都市計画に関し住宅都市公団がやってきたことと並んで世界の住宅地開発を調査研究する立場にありました。この時代に、英国の過去から現在までの住宅地開発を体系的に学ぶことができました。

その間、日本の都市開発を直接推進する立場で住宅地を計画し、建設し、それらはものづくりに偏重していることを感じてきました。そこでは都市の生活文化を創造するのではなく、住宅の量的供給中心に開発の目的がおかれてきた間違った開発のやり方であると感じていました。そこで私が実際に取り組んだ事業は、既存の計画理論や計画基準に適合しない前例に縛られないで、そこで生活している人びとの絆を育てることや、社会・経済的利益を優先して、敷地条件に合わせて「住宅棟北面配置」、「中廊下住宅」、「低層高密度開発」などの事業をしてきました。

HICPMの街づくりの取り組み

「住宅を取得することにより国民が資産を失い、不幸になっている」日本に比べ、欧米工業先進国では、「住宅を取得することで、住宅が経済的な後ろ盾となり、生活の基盤が守られている」ことを再確認し、住宅生産生研究会を設立し、欧米で実現している必然的理由を発見して、それを日本の住宅産業に技術移転をしようと考えました。
そこで15年ほど前(1995年)、プラザ合意後の輸入住宅促進で米国の日本への関心が高まったころペンシルベニア大学MBA資格のある千田さんと一緒になり、HICPMの事務局長を担当してもらい、そのコミュニケーション技術を生かし、NAHBとの外交をしてくれることになりました。そこに、私の著書を読んで住宅問題の関心を高めいた近藤鉄夫元大臣が、一緒にHICPMの運動をすることになり、急遽、理事長に就任してもらい、NAHB(全米ホームビルダー協会)と相互協力協定を締結することになりました。
『全米ホームビルダー協会』1942年に設立されたホームビルダーの全米をカバーする団体で、会員数約19万人で、新設住宅の約80%は会員会社による。研究機関、教育機関を持ち、全米の住宅関係者の技術水準の引上げと新材料、新工法の開発に取り組むとともに、消費者により良い住宅をより安価に建設できるよう政治的活動も行っている。

HICPMが技術移転を受ける直接の対象としては、世界最大の住宅産業規模と、多様な需要層に対した多様な取り組みを創造的に実施してきた米国から学ぶことが、最も分かりやすく、優れた技術移転を可能にできると考えました。

米国では「住宅を取得することは、長期預金をするよりも有利な資産形成の方法」であるという現実を見せつけられて、「資産形成のできる住宅はどのような条件にある住宅か」ということを研究することになりました。

その鍵は、米国の住宅金融が住宅の資産(不動産)評価をベースに行っていること(モーゲージ:住宅ローンはローン借受人が返済不能になることを条件に,差し押さえた住宅が一般の住宅市場で売却できる際の売却益を上限にしてしか融資しないという金融)にあり、その住宅資産は、住宅地経営にその鍵があるということが分かりました。


『住宅ローン』ノン・リコースローンです。融資に伴う求償権(right of indemnity)の範囲を物的担保に限定するため担 保物件以外は遡及されないローンで,担保物件を売却して債権額に満たない場合でも,それに対す る一切の債務から免責される。保証人の必要も,残債の請求もありません。


米国において、1980年代が大きな時代の転機となり、ニューアーバニズムによる住宅地経営がなされていない住宅地の住宅は、資産価値を維持向上することができないことを見せつけられました。
HICPMの取り組みは、住宅の資産価値を維持向上するためには、TNDが米国で受け入れられた社会経済関係を背景にしたメカニズムを勉強し、それをわが国に技術移転することをしなければいけないと考えるようになりました。
米国では、TND(トラデイショナル・ネイバーフッド・デベロップメント)、又は、ニュー・アーバニズムと呼ばれている。英国ではアーバン・ビレッジとも呼ばれているヒューマン・スケールの空間を人間の絆で繋ぐ生活を実現しようとする町づくりである。

DPZ(アンドレス・ドゥアーニー、エリザベス・プラター・ザイバーグ建築家夫妻)によるTND(伝統的近隣住区開発)の理論と実際(シーサイド、ケントランド、ウインザー、ハーバーランド、セレブレーション)やピーターカルソープによるサスティナブルコミュニティの理論を書籍で学び、実際(ラグナーウエスト、ノースウエストランディング、ザクロッシング)等の開発現場を多数見学して回りました。

その結論は、現代でも人びとが生活したくなるような過去の人類の優れた住宅地の計画理論とその実績を学び、それを現代の社会経済環境に生かしたものであることが分かりました。
それらの調査研究成果はHICPMビルダーズマガジンに掲載してきたほか、「アメリカの住宅地開発」(学芸出版)のほか、HICPM作成の「米国における最新住宅地開発」「米国における伝統的近隣住区開発(TND)」、「住宅地開発のデザインガイドライン」等として利用可能な資料として纏められています。

ニューアーバニズムに基づく住宅地計画

第2次世界大戦終了後、世界の先進工業国の経済は右肩上がりを基調に成長し、都市はその内部で処理できない問題を郊外へスプロールしていくことで解決してきました。
しかし、それは問題の正しい解決ではなく、内部問題を外部化させただけで、環境・安全・経済・社会問題(「都市内部の空洞化」と「郊外住宅のセキュリテイの悪化」及び都市の自然環境の悪化)の破綻という付けを市民にもたらす結果になりました。

ニューアーバニズムの計画理論は、ハワードが、過去の住宅地経営の経験を総括して、近代社会でその経験を計画理論・都市経営理論として纏めたガーデンシティ理論の中で明らかにした基本を、「重厚長大産業から、軽薄短小産業へ」という現代社会の中に読み替えて理論化したものであることが分かりました。

私が中央政府の技術官僚や、住都公団の計画技術管理職として疑問に思っていたことを、米国における戦後の住宅地開発の見直しは、分かりやすい形で、日本の都市開発の欠陥を明らかにする結果になりました。

米国で取り組まれた新しい都市開発は、そこで対象にされる人のライフスタイルを生かし、経済力と生活ニーズに応える街づくりとして取り組まれなければならないという当然の前提に立つ街づくりでした。
生活者のライフスタイルが見えない住宅地や、家計支出から逸脱した住宅を建設して住宅ローン返済のために生活が破壊されるような住宅など、住宅地開発としては問題外の開発です。

ニューアーバニズムとは、ハワードの住宅地経営論に戻れということであったのです。その調査研究の成果は、できるだけ多くの人達に知らせるべく、「アメリカの住宅地開発」(学芸出版)及び「アメリカの住宅生産」(住まいの図書館)として公刊されています。

サスティナブルハウスから街並み景観作りによる住宅地開発

HICPMは、1999年に常滑(愛知県)で名古屋国際木工機械展に合わせて「サステイナブルハウス」事業として実施しましたが、不十分な結果しか実現できませんでした。その後、浅井(滋賀県長浜)で最初の3次元の街並み計画を取り入れた住宅地計画が実施されましたが、この計画はモデルホームとしてサスティナブルハウスを建設したところで、開発計画とモデルホームは高い評価を受けたにも拘らず、事業主が計画を中断して、計画は実現しませんでした。

東宮花の森グラチア

その後、宮崎県でHICPMの会員であるアービスホームがニッポ(旧日本土地開発)の大規模区画整理開発地で、その一部に日本で初めて三次元で街並み計画をした開発「東宮花の森:グラチア」が実現しました。
この計画は谷口さん(アービスホーム社長)がサウスキャロライナの多くのTNDプロジェクトを見学し、それに倣った事業をしようと考えました。新しいTNDの考え方を事業計画に取り入れるため、HICPMとカナダのトレードワークスが依頼を請け、そこで纏めた基本計画で実施しました。

この事業は基本計画面でもサスティナブルハウスで追及したCMによる高生産性を実現し、アービスホームに高い利潤を齎しました。現在、既に建設後10年経過していますが、この開発地はニッポの東宮花の森の中で最も美しい住宅地に育っています。
当初ニッポの住宅地は非常に売れ足の悪い住宅地でしたが、グラチアを見て「すばらしい住宅地が出来る」と考えた人達は、土地を購入し、自分の思いをこめて住宅を建築しました。しかし、そこでできた住宅は以前の貧しい住宅地にしかなりませんでした。

グラチアがTNDの考え方で実施したことは、この住宅地に住む人が協力して「セットバック」、「アースカラーの中からの色彩の選択」といった共通のルールを守って「人の和(絆)による環境形成をした「相乗効果の発揮できる」街並み景観を築いたことにあります。その結果、経年するにつれ人びとの絆の強まりが町を熟成させてきました。

ランドロードの利益を中心においたムカサガーデン

100年定期借地権事業としてレンガによる住宅を建設していたロッキーハウス(大熊社長:税理士)は、新しい住宅地を提供していました。この事業を見て、私は英国のランドロードによる街づくりと共通したものを感じ、大熊さんに英国のハワードによるレッチワースガーデンシティを見学するようにお勧めしました。
英国のリースホールドで造られた住宅地のレンガによる住宅を大熊さん以下事業関係者がご覧になって、私がお話していることが現実の住宅地開発で行われていることを確信されたようでした。

そこでムカサガーデンのマスタープランの作成の協力を依頼され、これまでの浅井の住宅地計画の経験から、HICPMで取りまとめたサスティナブルハウスを基本とした計画条件をカナダのトレードワークスの協力を得て纏めることにしました。
その計画は期待通りの内容になっていましたが、当時定期借地事業に対して住宅ローンがつかないということもあり、大熊さんのほうでは事業を進めたくても進められないという時期が続きました。また、開発許可の関係で、行政がこの地区の開発に便乗して地域の連絡道路を造らせようとしたことも事業を妨害していました。

結局、カナダで作成されたマスタープランはそのとおり利用されないで、全体のイメージを参考にしたというだけになってしまいました。モデルホームの設計もカナダでなされたのですが、総て使われないままで、ロッキーホームで実施設計を行って実現しました。しかし、この計画はレンガの使い方は、これまでの「レンガタイルの使い方」ではなく、

「レンガとしてのデザインをした」ことで大きな成功を齎しました。セットバックをすることで大きなみどりの道路空間に街並みを構成することになった住宅は、同じ窓を同じリズムで使った結果、全体の街並みが「街並み(ストリートスケープ)は唄(ポエム)である」という言葉のとおり、相乗効果を発揮することが出来たことにあります。

工藤建設によるガーデンヒルズ

この事業に啓発されて、横浜の工藤建設がレンガによる英国のコートハウスをイメージした100年的借地権事業が実施されました。この事業は「マークスプリング」の設計者HICPM理事の渋谷理事がデザインを提案し、ムカサガーデンを推進したHICPMの大熊監事の指導で100年定期借地権事業に倣って進められました。

レンガに関しては、黒瀬さんの指導によるレンガのデザインが採り入れられました。HICPMに対しては長期優良モデル事業にするためのシステムの支援を求められ、「三種の神器」のシステムを提案に取り入れてもらいました。(結果として第1回長期優良モデル事業の街並み部門で採択されました)

この事業は計画面では、TNDの考え方を取り入れたものですが、ニューアーバニズムの計画理論どおり実践したものではありませんし、リースホールドによる住宅地経営としても、「三種の神器」自体も、工藤建設内部の諸事情で、実行段階でHICPMが指導した基本とはかなりずれたものになっています。

ニューアーバニズムによる日本最初の事業:泊山崎ガーデンテラス

この計画をさらに飛躍的に進めた事業が四日市市のアサヒグローバル(久保川社長)による「泊山崎ガーデンテラス」です。久保川さんとは、フロリダにあるTNDのメッカとも言うべきシーサイドを一緒に訪問し、その計画理論もよく理解しておられたということで、コンサルタントとして取りまとめたHICPMの欧米の経験を下にした提案を基本的に守って事業に取り組んでくださいました。

その計画は、目下、約半分の住宅が完成又は工事中になり、全体のイメージを十分想像できる段階になっています。この住宅地を訪問した人は異口同音にこの開発規模(約3000平方メートル)で、このような開発許可基準の8倍もある(800平方メートル)ビオトープ(水の流れる自然公園)のある住宅地に驚きの声を上げています。

久保川さんは、全体が完成するまでは公式な見学会は行わないといっておられますが、私はできるかぎり多くの人達にこの開発を見学し、ニューアーバニズムによる計画を「三種の神器」の住宅地経営管理の技術で実践してもらいたいと願っています。

自動車を見ることのない住宅地の前面には各住宅が夫々の個性を生かしたガーデニングの競演した公園が広がり、そこでは水が流れ蛍が舞い、花が咲き乱れることになります。幅15メートル長さ50メートルを超すこの公園は、総ての住宅居住者の誇りにすることの出来る宝で、個人の力では得られない住環境となっています。

ビオトープを採り入れた英国型リースホールドによる荻の浦ガーデンサバーブ

この開発で取り組めなかった問題を含んで、本格的なリースホールドによる「三種の神器」を生かした取り組みを、今福岡県の大建(松尾社長)の元で取り組んでもらっています。
松尾社長には、居住者の資産となる住宅を居住者の家計支出の範囲で供給することがなければ工務店としての意味はないと考えて、そのモデルとなる英国、米国、ドイツなどをわたくしと一緒に見学してもらいました。
そのうえで、HICPMの過去の取り組みを考えたうえで、目下大建の顧問として事業支援をすることに合意し、事業計画は双方が完全に了解しあう内容の事業をするという年間契約を締結しました。

目下、わたくしはこのプロジェクトを自分自身の事業と考えて、大建の松尾社長以下社員の皆さんと同じ船に乗ったつもりで実現に尽力しています。
既に計画の基本方針はまとまり、開発許可を得たという段階で、年内に着工という運びにあります。この計画に関し、HICPMホームページで紹介したいと思っています。

以上
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2013年7月8日月曜日

脱法ハウス

住宅生産性研究会(HICPM)のメールマガジン第514号(2013年7月1日)に「脱法ハウス」問題の本質が語られていました。
戸谷英世理事長のご承諾を頂いて掲載いて掲載致します。



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「脱法ハウス(倉庫の住宅利用)」問題
「脱法ハウス」の問題を、この一週間、多くのジャーナリズムで大きな問題として取り上げている。「脱法ハウス」の言葉から連想されるものは「ドヤ」である。「ドヤ」とは、「宿(ヤド)」を逆に読んだ隠語で、1960年代の東京の山谷・吉原(玉姫)、の江東区の高橋(たかばし)、大阪の釜が崎・飛田(愛隣)など地区が、農村地帯からのターミナル駅である上野、天王寺というロケーションと結びついて、大都市の労働市場、風俗・娯楽・遊興市場、ヘップサンダルなど労働集約的下請家内工業集積地となり、歴史的には未解放部落や遊郭が集積するところに建てられた日払い家賃の代表的な住まいであった。これが旅館業法の旅館か、それとも労働者住宅なのか、労働者用簡易宿泊施設何かという議論もあった。

住宅問題・住宅政策の歴史的課題
しかし、問題の「脱法ハウス」はエンゲルスの『住宅問題』やディッケンズの『二都物語』、細井和喜蔵の『女工哀史』を連想する悲惨な労働者の住宅であることには変わりはない。新聞やTVでは、カプセルハウスとか漫画喫茶に近いもののように扱っている。しかし、その実態は、「ドヤ」の現代版である。ドヤは基本的に日雇い労働者の住宅であったが、高度成長時代の挙家離村した農家の人も、出稼ぎ労働者に混じってドヤで生活することもあった。「脱法ハウス」は、住宅の下位にある正に現代版のドヤである。政府及びジャーナリズムの扱いには、官僚の行政責任を採否させるため、「脱法ハウス」を「住宅」であるとして扱おうとする意志は見られず、人間を一時収容する「倉庫」という扱いである。

「ドヤ」と「脱法ハウス」
ドヤ街で、労働者を呼び込みにくる手配師達を、道路沿いで「朝早くから待っている労働者」が「たちんぼう」である。屈強な身体の労働者を「選り取り見取り」で高値で連れて行く。日当だけを言い、行き先も仕事も詳しく説明しない、日帰りするとは限らず、長期の場合もある。帰ってこない場合もある。朝早いほど高い賃金である。高い賃金で働く意欲と労働能力のある労働者は、早々に連れ去られる。
手配師が一段落すると仕事にあぶれた労働者を相手に、東京都や大阪市の公共職業安定所という公式名称のある「労働市場」が、8時半に開店される。高齢者、疾病を抱えた人、家族を抱えた人、前日酒によって寝坊した人などが集まってくる。彼等は「ニコヨン」と呼ばれ、生活で使い尽くす費用が最低賃金日当として、254円が支払われた。経済波及効果が高い景気刺激策・ケインズ経済学の分かりやすい政府施策事業の実践として取り組まれた。

「あぶれ」労働者の生活
それでも仕事を得られなかった人たちはドヤからも追い出され、くず拾いの仕切り場でリヤカーを借り、くず拾いや、フィッシュソーセージの繋ぎ材料とした野犬や野良猫を捕まえに出かけた。ドヤではドヤ代前払いである。毎日のように出入りある居住者が布団を持ち出されないように、窓には格子が入っている。居住密度を高めるために2段ベッドが一般的で、通常の住宅や旅館の居住密度に比べ何倍も高い。ドヤ賃も、当時大都市周辺に雨後の筍のように建築された木賃アパートや文化住宅に比べ遥かに割高であった。それでも労働市場としての好立地のため、需要と供給との関係を反映して、ドヤ賃の高さは問題にされなかった。ともかく仕事が得られなかった人、即ち、失業者は「あぶれ」といわれ、一日をパチンコに費やすわけである。

「住宅難世帯」の問題
脱法ハウスの問題が新聞のトップ記事に取り上げられたが、それは1960年代の「ドヤ」の時代をカミングバックさせるものであった。1965年に住宅建設計画法が制定され、住宅政策の基本が「量的に絶対不足の時代から住宅の質的向上へ」が住宅政策の基本に置かれることになった。政府は居住水準を国家の責任で設定し、行政主導で公営、公団、公庫住宅供給で、居住水準以下の住宅を滅失させ、居住水準以上の住宅を供給する政策である。「住宅建設計画法」に政策転換したのは、戦後の住宅難世帯が解消され、絶対的住宅難がなくなったからである。それ以前の住宅政策は「住宅難の解消」であった。住宅政策上の「住宅難の概念」は、次ぎの4種類である。戦争中の壕や倉庫や兵舎、電車やバスの車両その他雨露を凌ぐために寝泊りをする「非住宅居住」、海外からの引揚げ世帯を中心に「余裕住宅開放」を義務付け、血縁のない世帯や遠い血縁世帯が同じ住宅に居住した「同居居住」、構造耐力的にも危険な「要大修理住宅居住」および「狭小住宅過密居住」の4つのカテゴリーの居住世帯である。この「住宅難世帯」の解消が戦後の住宅政策の目標とされた。

「同居」は住宅なのか、「日本の伝統的な居住形態」なのか
その中で面白い例は「同居」であった。戦前の軍国主義を温存したのは個人の人権を認めない大家族制にあると民法改正され、「一夫婦一世帯」が家族の基礎単位とされた。その結果、別世帯が同一住宅に生活する世帯の居住形態は封建的とされ、「住宅難世帯」として計算された。その「同居」が住宅建設計画法時代の住宅統計上の数合わせで、「住宅難世帯」はなくなったので、新しい居住水準を軸にする住宅政策に変更された。当時は日本経済が朝鮮戦争以降の軍需需要を背景に、重厚長大産業が復興し、都市化が急速に発生したため宅地の需給関係が逼迫していた。そのため、政府は宅地需要を生まない住宅供給として、三世代同居や二世帯同居という以前の「住宅難解消」を掲げた時代では「住宅難」に区分された住宅を、日本の伝統的な居住形態である「伝統文化の復興」と「手のひらを裏返す」ように変更して、同居住宅の供給を開始した。

住宅難時代の国の住宅政策立案官僚が東京大学教授になったときの発言
その無節操な政策転換に乗った民間住宅が旭化成ホームズ㈱「2世帯住宅研究所」であった。その取り組みは社会経済的要請に応えたものとして発展した。住宅局で住宅難問題と住宅計画に取り組み、東京大学都市工学部教授に転出したS.・Kが、「同居問題の住宅政策上の扱いは、矛盾した扱いで良いのか」と、自ら官僚として取り組んでいた政策の弁護もしなければ、新しく転換された政策に対する批判もしないで、政策転換に対し何の説明もなかった国の住宅政策の定見のなさをぼやいた。官僚OBの学者は例外なく御用学者で、個人としての意思はなく組織の言いなりの歯車でしかない。東京大学や京都大学の学者・研究者のほとんどはその代表で、御用学者には官僚や政策批判はできないし、しようとも思わない。せいぜい皮肉か自虐的批判程度である。

脱法ハウスの住宅政策
欧米の工業先進国ではほとんど例外なく国家が国民の住宅に関し、国民の健康で文化的な内容であることを住宅行政の対象にし、一定条件を満足しない住宅は閉鎖処分にされた。しかし、日本には建築基準法があり、建築時点での建築物の安全に関し、計画の確認と完成住宅の検査済み証の交付が出されている。しかし、その住宅が計画とおり国民の生活を守る点で正しく使われているかを検査するシステムはない。民間の住宅産業は「売り逃げ」の住宅産業であるとすれば、政府は政策をやったふりをして、「御墨付け」手数料(口銭)取のやりっぱなしの住宅政策でしかない。憲法25条で定めた健康で文化的な生活の実現を、国民の住宅という視点で実施する住宅行政が存在しない。そのような非人道的な環境の住宅が供給されていることに対して、御用学者は批判をしないし、又できない無定見な知識人である。

「脱法ハウス」に対する創造される政府施策
「住宅として造られ、事務所に使われ」、逆に、「倉庫として作られ、住宅として使われ」ている。脱法ハウスは、いわゆる倉庫の荷物として人間の生活を扱っている。安倍政権は国民の住宅が憲法違反の状態を恥ずかしいと感じる常識を持っていないことが今回の「脱法ハウス」の対応で明らかになった。住宅行政担当の国土交通省住宅局から、脱法ハウスについて住宅政策の責任を、官僚から意見を聞くことは難しい。現在住宅局が推進している長期優良住宅の中で、住宅性能表示が住宅政策上、住宅減税や国庫補助金で大きな役割を担っている。住宅関係者の中でこの制度により住宅価格を高くすることがあっても、住宅の品質を向上できていると本気で信じている人はいない。 

「世界の住宅政策」と全く異質な「我が国の住宅政策」
現在の住宅行政を担当している官僚たちに、脱法ハウスで生活している国民のことなど分かるはずはないし、考えようとすることもない。脱法ハウスが次現在の住宅政策を担当している官僚にとって、利益がないと考えているからである。長期優良住宅に対しても、官僚の関心は、住宅メーカーや、工務店が消費者に売り抜くまでで、それ以降には関心を持っていない。現在社会問題になった脱法ハウスの最も重要な問題は何か。それは、居住している国民の立場で考えることである。そうすれば、憲法25条に違反して国民に「非住宅居住」をさせる一方で、脱法ハウス経営で利益を得ている企業に対し取り締まるとともに、そのような住宅にしか住めない世帯に対し、住宅政策上の救済を行うことが政治である。

脱法ハウスが政治及び行政上の取り組の対象になる条件
脱法ハウス問題は、欧米工業先進国なら、「住宅政策」の貧困の問題として政府、民間、ジャーナリズム、学会も取り上げることになる。しかし、日本では国土交通省住宅局は、「馬耳東風」の知らぬ顔の半兵衛を決め込み、それを国勢調査の調査対象から脱落した統計上の総務省国政統計課の問題として取り上げた。安倍内閣が行おうとしている憲法改正は、第9条(戦争の放棄)が目的ではなく第25条(国民の安全、健康で文化的な生活)ではないかと勘繰りたくなる。
脱法ハウスの問題は国勢調査のカテゴリーの問題であることも事実である。しかし、最も問題にされなければならないことは、憲法第25条に関係して、国民の住宅として国家がどのような責任を住宅政策として負おうとしているかである。今まで官僚が政治家と結託し、国民不在の政治行政を進めてきた。こと住宅に関し、安倍内閣の政策は、脱法ハウスに営業上の市民権を与え、そこから税金を徴収することを憲法改正の目的にしているのではないか。

国家の政治行政を私物化する日本の政治行政
政治家の関心は、自分に投票してくれる選挙民と、自分に政治献金をしてくれる業者と選挙民だけであるという。今の政治に信頼のもてないご時勢に、自分の金を信頼できない政治に出せる余裕のある人はいない。実際の政治献金を行っている人を見ると、ほとんど例外なく、税金を補助金として手に入れる仕組みを政治家と官僚とが結託して作成し、税金を補助金として手に入れる仕組みを利用して、政治献金する人を迂回して、政治家と官僚に回している。補助金で利益を得た選挙民が、その利益の一部を政治献金するように、政治家と官僚が選挙民を外郭団体などに組織化していく。社団法人、財団法人、NPO法人が行政機関の外郭団体として作られ、それが政治家に税金を補助金として交付させ、政治献金としてキックバックさせる。その外郭団体に退職後の官僚が天下りをし、実質定年延長となり収入を確保する。脱法ハウス問題が新たな船団をつくりだすことを危惧している。

(NPO法人住宅生産生研究会理事長 戸谷英世)

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尚,インターネットで調べましたら,下記毎日新聞の記事が違う角度からこの脱法ハウスを書いています。

「脱法ハウス」は、むしろ弱者を救済しているのではないか - モジログ
http://mojix.org/2013/06/09/dappou-house




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