2016年2月13日土曜日

TPPを考える Part 2

来たれ!TPP【前編・基本講座】 
     2016年02月04日」
     http://agri-biz.jp/item/detail/4240


PART2 農業界への影響と展望

TPP後も脱税オプションが残る豚肉業界の未来は不透明のまま。いまこそ、業界の健全化を自ら図る意識改革と行動を。
【TPP 農業交渉の評価】

TPPは農業交渉において“たるんだ”協定となってしまった。日本が重要5品目(コメ、麦、牛肉・豚肉、乳製品、砂糖)とする多くで、自由貿易の精神に反 する管理貿易(国家貿易や差額関税など)の仕組みを残存したためだ。その結果、日本農業の成長機会を自ら閉ざしてしまった。
TPP交渉開始前から筆者が提言してきたとおり、日本がこうした「聖域」を戦略的になくしていけば、農産物の加工貿易が発展し、国内農業の需要が伸長する スタートラインに立てたはずだったが、結果は違った。低関税・中関税だった加工品のほとんどは数年で無税化の道をたどる。上述した「重要」品目は徐々に関 税が下がるものもあるが、全般的に「聖域」が残ってしまった。
 要するに、原材料農産物は高関税のままか少しだけ下がり、加工品は一気に下がる。これでは食品産業にしてみれば、短中期的にも長期的にも海外で製造したほ うが「よりお得」という結論しか導き出せない。日本の農産物需要はマクロにみれば約7割が加工品である。聖域が残って、農業者の顧客(食品事業者)が国内 からいなくなっては本末転倒だ。売り先の減少により、国産同士の過当競争が激化し、農場の利益率が低下する。農業保護どころではない。
こうしたTPP農業交渉の問題点は妥結直後の安倍総理の会見内容にすべてが集約されている。
「聖域なき関税撤廃は認めることができない。これが交渉参加の大前提であります。とくにコメや麦、サトウキビ、甜菜、牛肉、豚肉そして乳製品。日本の農業 を長らく支えてきたこれらの重要品目については、最後の最後までギリギリの交渉を続けました。その結果、これらについて関税撤廃の例外をしっかりと確保す ることができました。(中略)新たに輸入枠を設定することとなるコメについても、必要な措置を講じることで、市場に流通するコメの総量は増やさないように するなど、農家の皆さんの不安な気持ちに寄り添いながら、生産者が安心して再生産に取り組むことができるように万全の対策を実施していく考えであります」
コメについて要約すれば、自由化は避けた(現在の国産米より高い1kg341円の高関税を維持)。その見返りに輸入枠は増やした(米豪から5.6万t、 13年目以降7.84万t)。その分、政府が買い上げる国産米の量を増やしていく。その結果、コメの供給量は変わらないから、米価の下落は抑えられるは ず。加えて、補助金を増額するから安心してくれ、とのメッセージである。
総理はTPPでコメを守ったというが、これでは日本の稲作産業は衰退の道をたどる。今回のTPP交渉でコメと競合となる麦については、関税に相当するマー クアップ(農水省が輸入時、徴収する差益)は45%から最大50%削減されることになる。つまり、麦の価格は下がっていく一方、コメの価格は高止まりを目 指す、といっているのだ。よって、麦を使った食品開発はさらに進み、買いやすくなる一方、人為的にコメ離れが進んでいく。換言すれば、国主導の農政に先祖 返りである。発展に真っ向から逆行する、3つの政府介入、(1)国家貿易の維持、(2)作物差別的な補助金設計、(3)食品工場の海外移転促進政策が TPP後も継続されることになった。
 そこでまず、今回の交渉結果のどこが問題なのか品目ごとに解説する。そして、気が早いといわれるだろうが、TPP再交渉戦略について、重要品目ごとに提言したい。
TPPはリビング・アグリーメント(生きた協定)である。妥結した内容が未来永劫、フィックスされるように誤解している人が多いが違う。21世紀型の世界 基準となるべき共通ビジネス・ルール構築実現がTPPの目的だ。“生きた”の名のとおり、関税・サービス・投資などの自由化合意について、全12加盟国が 実施フェーズに移行させていきながら、今回妥結できなかった積み残し事項についても交渉がいずれ再開される。その際、日本が今回選択した管理貿易の手法は 見直しが迫られることになる。そこで政府が同じ過ちを犯さないよう、いまのうちから新たな選択肢を提示したい。
今回は豚肉に焦点を絞り、次号以降、他の品目について解説する。


TPPと豚肉 ホントの説明

【重要品目の
交渉結果と問題】

豚肉

【よくある説明】
TPPで最も大きな影響を受ける品目は豚肉である。なぜなら、関税が現在の1kg当たり482円からTPP発効後10年で、50円へと大幅に下がるから だ。その結果、安い輸入豚肉が大量に入ってくることになる。また、豚肉は外国産と国産で味の差がつきにくいため、価格を重視する消費者が多い。そのため、 関税引き下げによって、国内価格が値下がりして、養豚農家に大きな打撃を与える。その影響額は4140億円に及ぶ(日本養豚協会の試算)。

【実際の報道】
「豚肉の関税の大幅削減などで譲歩を余儀なくされた」(1月4日付北海道新聞)、「関税50円はもはや撤廃と同じ」(週刊東洋経済15年12月12日号)
【農水省の説明】
差額関税制度・分岐点価格を維持するとともに、セーフガードを設置。コンビネーション輸入が引き続き行なわれるのではないかと想定されることから、当面、輸入の急増は見込みがたい。生産減少額は、約169億円から322億円と試算。

差額関税制度による
脱税ポークの常態化

もし現在、輸入豚肉に対して1kg当たり482円の関税がかかっているのであれば、【よくある説明】はもっともだ。しかし、事実はそうではない。輸入時の 関税を財務省に問い合わせると、1kg当たり482円支払っているケースはゼロである。平均すると、その20分の1以下の平均23円となっている。それを 実質の関税率に直すとわずか4%強だ(図1参照。関税収入を輸入額で割って算出した)。TPP以前に自由化しているも同然である。

一体どういうことか。豚肉には差額関税と呼ばれる特殊な制度がある。
まずは分岐点価格が設定される(1kg当たり524円)。分岐点を超える豚肉には一律4.3%の関税がかけられる。それより安い豚肉の場合、その分岐点価 格に4.3%分の関税を上乗せした546.5円と輸入価格の差額が関税として徴収される。65円未満の安い肉の場合、一律1kg482円の関税(従量税) がかかる。つまり、どんなに安い肉を輸入しようとも国内の流通価格は1kg当たり482円を上回る。安い外国産から国内の養豚家を保護するには鉄壁な制度 に見えるが、そんなに単純ではない。
この制度の最大の問題点は、基準価格内では価格が高いほど税率が下がる点にある。別の言い方をすると、安い肉も高い肉も差額関税によって、強制的に同じ価 格にする仕組みだ。輸入業者はそれでは商売にならない。そこで、「安いものを安いまま」輸入するにはどうしたらいいかを考える。簡単である。税関では安い 肉の価格を偽ってつり上げ、基準価格と同額で申告すればいい。そうすれば差額関税はゼロになり、支払う関税は4.3%だけで済む。もちろん脱税だ。“裏 ポーク”“闇ポーク”と呼ばれる世界の話である。本当にそんなことが行なわれているのか。
図2をご覧いただきたい。豚肉の平均輸入価格推移である。冷凍肉も生鮮(チルド)肉もほとんどすべて同じ価格で推移している。その額は524円の近似値 だ。524円とは課税額が4.3%と最小になる(逆にいえば脱税額が最大になる)輸入単価である。4.3%とは冒頭の平均関税23円と同額である。つま り、毎年7、80万tほど、金額にして4000億円前後も輸入される巨大商品において、業者が無数におり、品質も多種多様にもかかわらず、平均価格が毎年 一定とは異様だ。
次に図3に注目いただきたい。輸入豚肉のなかで、最もシェアの高いアメリカの国内豚肉価格の推移である。その価格は大きく変動しているにもかかわらず、図2のとおり輸入価格は見事に一定である。しかも、アメリカ産の実勢価格は日本の輸入額の約3分の1前後で推移している。
輸入価格がそろっている点について、農水省はこう弁明する。
「コンビネーション輸入(価格の高い部位と安い部位を組み合わせて分岐点に近い価格で輸入)するケースが多い。したがって、部位的に見れば、分岐点価格を 下回るような部位が国内で取引されることもありうるが、高価格部位も合わせて輸入する必要があることから、結果的に低価格部位の輸入抑制効果が発揮され る」(同省資料「豚肉の差額関税制度について」)。この説明が事実であれば、【農水省の説明】ももっともらしいがその論理は破たんしている。 

破たんする
農水省の弁明

高い肉と安い肉を混在させた平均で分岐点価格にしているというが、「そもそも海外産の豚肉で分岐点を大幅に超えるような肉は、ごく一部のブランド豚を除い てほとんどない」(業界関係者)。また、日本のようにヒレとロースなど一部の部位だけが重宝されているわけではなく、図3で示したように平均価格は100 から300円前後である。分岐点を大幅に超える高い肉が大量に存在しないのであれば、抱き合わせて輸入する安い部位と平均して、きれいに関税を最小化でき る輸入価格に合わせられるはずがない。現実の輸入豚肉の卸売価格を長期的に見ていっても、輸入価格より安い卸値の時期がしばしば見受けられる。仕入価格よ り安く売り続ければ、どんな会社でも赤字となり、倒産する。それでも経営が持続しているのは、脱税が常態化しているほか説明がつかない。
こうした事実があるにもかかわらず、85万t(14年輸入実績、財務省)という輸入量のすべてで、コンビネーション輸入をしていると断定するのが農水省だ。小学生の算数でも、その無根拠さは証明できる。
仮に農水省がいうとおり、すべてがコンビネーション輸入だとしても、国産保護にさえなっていない。外国産豚肉で最も需要があるのは、モモや肩肉などの低価 格部位である。一般消費者向けのハムやソーセージに加工されるそれらは、手軽で価格も手ごろ、栄養価も高いため、日本人の食生活に深く浸透した商品であ り、日本人の豚肉消費の6割弱を占める。一方、ヒレとロースの高級部位はどうか。トンカツやヒレカツ用だ。国産の人気が高く、すみ分けが進んでいたが、差 額関税によって奇妙な現象が起こってきた。
差額関税の負担を減らすためだけに、本来ハムやソーセージには必要のない高価格の部位を輸入しなければならない点だ。メーカーは売りさばけないから、少し でも元を取ろうとダンピング販売をする。スーパーで異様に安い特売があったり、一部外食で利用されている。こうした外国産が国産ヒレやロースと競合し、守 られているはずの国内養豚家から、得意とする高価格帯の国内市場を奪っているのである。他方、輸入業者は高価格部位ダンピングの損失を補おうと、本来安さ が売りの低価格部位をできるだけメーカーに高値で売ろうと努力する。その結果、ハムやソーセージでの増量剤等の使用が一般化する。これでは、良いものを仕 入れて、いい加工品を作ろうという企業努力が発揮されづらい。おまけに消費者は品質と価格がマッチしていないものを買うという羽目になる。

しかし、メーカーは競争があるから簡単には値上げできず、損してでも生き残りをかける。そこで海外から安いハムやソーセージが入ってくる。すでに加工され た豚肉製品は10%しか関税がかからず、他国には差額関税制度がないから、海外メーカーは安い原材料は安く、高い原材料は高くと国際価格で調達できてい る。これでは国内メーカーは太刀打ちできない。しかも、TPP交渉でハムソーの関税はゼロになることが決まった(ソーセージは発効6年後、ハム・ベーコン は11年後)。結局は加工品の輸入が増え、いよいよ国内メーカーの経営は苦しくなる。廃業か、工場の海外移転が促される結果を招く。養豚業界は自由化を恐 れ、差額関税死守を掲げてTPP反対運動を戦ってきたが、その目的とは正反対に困るのは日本の養豚家である。
本来、TPP交渉は差額関税のような非関税障壁や脱法的な取引を改ため、規律を高めるルールづくりの場である。なぜ今回、このような不透明な制度が温存されたのか。

海外の養豚を利する
差額関税制度

一言でいえば、差額関税はアメリカをはじめ海外の養豚家に利益を与える制度だからだ。関税によって安いものを高いものと強制的に同じ価格にする仕組みだか ら、海外の養豚業者にしてみればこんなにおいしい話はない。価格競争が意味をなさないわけだから、彼らは合法的に高い値づけをして儲けることを選ぶ。輸入 業者にしてみれば、海外の養豚家だけを儲けさせてはジリ貧だ。苦肉の策として、脱税方法を編み出したのだ。実際、食肉団体は「廃止」を長年、訴えてきた。 少しでも脱税額を減らそうと、現地で加工度合を高める処理を委託し、輸入単価を高めようと努力している。現地にそのための子会社を作った食肉企業も多数あ る。その結果、奪われたのは膨大な食肉処理業の地域雇用だ。
ところが、農水省は国益だといいながら、TPP交渉で養豚家を利する制度を残せと主張した。交渉相手国は「廃止せよ」といいながら、最終的に日本の主張をしぶしぶ飲んだのは完全自由化より自国が得するためである。
それでもなぜ、養豚家、食肉業者、関連従業員を追いつめる行動を取るのか。長年の農水省取材経験から結論づければ、官僚の無謬性神話である。筆者の指摘を 待つまでもなく、差額関税の毒害性は専門家や実務家から糾弾されてきた。『豚肉が消える 差額関税が日本の食卓を破壊する』(高橋寛監修)、『国際条約違 反・違憲豚肉の差額関税制度を断罪する :農林水産省の欺瞞』(志賀櫻)といった専門書籍があるくらいだ。差額関税を憲法違反とする裁判さえ行なわれている(最高裁判所の上告審で棄却)。この制 度を知った者なら、誰の目にも明らかに欠陥があるとわかるだろう。とはいえ、それを認められないのが官僚の性なのだ。

 「需要と価格の安定」への
国家介入が諸悪の根源

その支えになっているのが差額関税制度の根拠法「畜産物の価格安定に関する法律」である。「価格の安定を図ることにより、畜産及びその関連産業の健全な発 達を促進し、あわせて国民の食生活の改善に資することを目的(第一条)」とするものだ。そのうえで、「この制度は、海外からの安価な豚肉の大量輸入による 国内需給の混乱を防止することを目的として制定されたものであり、国内の需給及び価格の安定に寄与しています」と自負している。我々農水省こそが農畜産の 需給と価格を安定化させるのが使命だというわけだ。豚肉だけでなく、TPP交渉において、「需給と価格の安定」を錦の御旗とする農水省にとっての聖域であ るコメ、麦、乳製品、砂糖が重要品目となった。しかし、歴史を振り返れば戦時法制で国家による物価統制を行なった名残が、こうしていまも継続しているに過 ぎない。
官僚のくだらないプライドをよそに、現実の豚肉ビジネスは続く。脱税が既成事実とはいえ、誰も捕まりたくはない。そこで国内外の子会社やペーパーカンパ ニーを何社、何十社も迂回させ、架空取引やバックマージンの支払いを積み重ねているのだ。また、こうした複雑な取引ルートによって、元をたどれば一体どこ の国のどんな肉が輸入されたのか、素性がわからなくなる副作用も生じている。違法取引がバレにくい原産国や業者を架空に作る過程で、産地偽装の温床にも なっているのだ。
今後、偽装の深刻化が進む。TPP加盟国の差額関税は下がっていくが、非加盟国の差額は従来どおりのままだ。何が起こるか。非加盟国産の豚肉を加盟国に実 物かペーパー上かで迂回させれば儲かる。ますます素性がわからない豚肉が出回ることになる。困るのは消費者だ。表示上、○○産と信じて買っていても、本当 は中国産なのかアメリカ産なのか皆目見当がつかない状態になる。

脱税発覚は氷山の一角
農水省「多数」と認識

以上を読んだ人のなかには、あまりに極論ではないかと訝しく思う向きもあろう。だが実際、財務省の通関後の事後調査で発覚した脱税額だけでも数百億円を超 えるレベルである。近年で脱税額10億円以上の年だけを取り上げれば、09年45億円、12年136億円、13年14億円、14年28億円となっている (財務省「関税等の申告に係る輸入事後調査の結果」)。しかも、これらの金額は書類の事後調査で判明したもので、貨物をチェックしているわけではない。氷 山の一角である。

 筆者は脱税のためのインボイス操作を担当していた元商社マンや輸入業者と面談したことがあるが、「業界でまともに関税を払っている話は聞いたことがない」 と口をそろえて言う。制度を管轄する農水省もそのことはとうの昔に認識している。06年の「農水省生産局畜産部長」文書において、「(差額関税の)法令遵 守に向けた取組状況調査において、未だ法令遵守に向けた取組体制が整っていない企業が多数存在(傍点筆者)することが判明した」とあるとおりだ。そのうえ で、同文書において「食肉関係補助事業について、法令遵守のための規範等を整備すること等を交付要件とする」と脱税企業に対して、血税を使った補助事業を 提供する寛大ささえ示した。さらに、「豚肉を輸入される皆さん、差額関税制度に基づき適正に手続きを行いましょう」と子供だましのようなパンフレットを業 界に配布して行政指導は終了した。その6年後の12年、巨額の脱税が発覚したが、ほとんど同じパンフレットを刷って終わりだ。唯一の違いは「適正に」に下 線を引いて強調しているだけだ。適正に輸入すれば商売が成立しない仕組みを自ら作っておいて、「適正に」と繰り返して問題が解決するはずがない。
同制度の下、通関を管轄する財務省はまだ正直だ。同年、財務省の関税局長が出した文書「豚肉の輸入申告に係る審査・検査の充実等について」にはこうある。

ずさんなチェック体制
財務省、自ら認める

「豚肉の貨物検査に際しては、部位の識別、貨物の重量に着目すること」「豚肉の各部位に関する知識の向上等を図るため、関係職員に対する研修の充実に努める」「各豚肉原産国における豚肉流通価格の把握に努める」「豚肉の輸出価格に係る情報の入手に努める」
言い換えれば、「税関でこれまで部位も重量もチェックしていませんでした。それ以前にばら肉やロースなどの部位の識別法も知りませんでした。海外の豚肉価 格も知りませんでした」と認めたのだ。「何のチェックもないから、どんな肉でも、書類には『豚肉』と書けば分岐点価格で簡単に通関を通せた」(先述の元商 社マン)との発言を裏付ける内容だ。
非を認めると同時に、財務省は取締強化に出る。通関書類の一つとして、輸入する豚肉の現地での仕入価格等を添付するよう求めるようになった。しかし、脱税は減るどころか、さらに巧妙な手口を生んでいる。
輸入業者は差額関税の適用がなく、20%から25%の低関税品目「豚肉調製品」を選んで、輸入申告する傾向が増えている。その輸入量と価格は図4と図5で 示してある。輸入量は審査が厳しくなった過去10年で倍増し、20万tと未調製の豚肉の3割ほどに迫っている。価格はといえば300円前後だ。調製品と は、豚肉を細かい部位に分け、塩コショウやスパイスを加えるなどして半加工した製品である。当然、枝肉や未加工の部位肉より価格が高くなるはずだが、ほぼ 半値である。

脱税の新たなカラクリ
取締強化後に急増

そのカラクリはこうだ。通関に現地書類を求められるようになったため、安い価格のものを分岐点価格で輸入してばかりいては脱税がばれてしまう。仕方なしに 多少の高価格部位を混ぜるようになった。また、輸入仕入額の海外送金でもチェックが厳しくなっており、申告どおりに支払わなくては同じくばれる。しかし、 それでは儲けが少なくなる。差額関税で輸入した安い豚肉は分岐点価格どおり海外送金すると同時に、調製品の関税コードを使って高い豚肉を安く仕入れること で、合法的に相互の損益を相殺しているのだ。財務省の担当者にこの筆者分析をぶつけたところ、「豚肉の脱税はたしかに巧妙です。といっても、麻薬の密輸も 巧妙ですから、そんなに変わりありません」と豚肉と麻薬との妙な類似点を述べる。しかし、行政の責任からいえば、豚肉のほうが悪質である。麻薬密輸は明ら かに違法だが、差額関税は合法品(ごく普通の豚肉)の違法化を誘発する制度だからだ。制度を改めるだけで、問題は氷解する。この制度は日本特有の国内ルー ルである。TPPのような国際交渉プロセスを経なくても、国内法で自由に改変、廃止できる。そこで、財務官僚にこう問いかけた。「あなたは関税・税制のプ ロだ。もしそうなら、差額関税制度が“堅気でない”ことはわかっているはずだ。専門の行政官としての良識と良心があるなら、財務相に進言し、農水省に対し て制度改正を求めるべきだ。関税の管轄は財務省だが、制度を作ったのは農水省だ。悪法だと知りながら、なぜあなたは農水省の論理に従属して、現場で小間使 いをしているのか。取締強化をしているといっても、財務官僚の優秀な頭脳を豚肉の輸入書類チェックにいつまで浪費し続けるつもりなのか」。答えは美しかっ た。「私どもの立場をご理解いただき、お礼申し上げます」
その取材後、農水省に別の角度から問いつめた。「本当に差額関税制度が養豚家を保護すると信じているのなら、農水省はずさんな取締をしている財務省に豚肉 通関の徹底指導をすべきではないか」。答えは官僚的だった。「管轄を侵すことはできません」の一点張りだ。そういうなら、次の質問に移ろう。「あなたがた は、差額関税維持・減額のTPP合意で養豚業界への影響は限定的(約169億円から322億円)だと公式見解を発表している。そういえるためには、輸入豚 肉の部位別価格と需給状況を把握しているに違いない。さもなければ、国産と外国産のどの部位が価格的に量的に競合しているか計算できない。もし計算してい なければ、影響度合の見解の根拠自体が存在していないことになるがいかがか」。その返事がいかしている。「畜産の需給情報を統括する農畜産業振興機構に聞 いてくれ」。責任逃れである。そこで素直に問い合わせてみると、驚くべき回答を得た。「価格はわかっているが、調査は外注しており、個別企業の機密情報に かかわる問題につき、詳しくは回答できない」の繰り返しだ。らちが明かないので、食肉の市場調査を詳しく行なっている業界団体に価格を問い合わせた。「量 はわかるが、各社事情があり、価格を質問しても答えてくれない」と逃げる。筆者がただ知りたいのは部位別の平均価格で、個別企業の情報ではない。なぜ、豚 肉の用途別の価格を官庁・業界団体ぐるみで隠すのか。答えはもうおわかりだろう。全体の脱税額が論理的に特定、立証されてしまうからだ。それで困るのは農 水省と業界団体だけだ。

TPPの豚肉への影響
オプション理論で解く

これ以上不毛な取材を続けても光明は開けない。読者、養豚業界人が知りたいのは本当の影響だ。筆者の独断で、TPP発効後の輸入価格の変化を予測してみ た。豚肉ビジネスの将来を決めるのはビジネスパーソンである。彼らのロジックから考察すれば、自ずとその解は見いだせる。それは損得勘定である。そのため の選択肢は二つに一つだ。「脱税を継続する場合」と「脱税をしない場合」のオプションである。
このオプション理論を詳細に示したのが表1(31頁参照)である。TPPによって差額関税が削減されるといっても、いまの脱税の常態化で支払っている関税 (4.3%)よりずっと高い。現在の従量税(差額関税)は最大482円が発効年に125円、発効5年後に70円、10年後に50円となる。いずれも現在、 支払われている関税23円よりずっと高く、発効10年後でも倍以上だ。一方の従価税のほうは5年後、いまの4.3%が2.2%、10年後ゼロ%となる。こ れらの制度変更を念頭にして、あなたが輸入業者だとしよう。損得勘定からどんな選択をするか。脱税しかない。要するに、10年間はいまと変わらないという 結論になる。冒頭で引用した「関税50円はもはや撤廃と同じ」(週刊東洋経済15年12月12日号)などといった分析は甘すぎて論評にも値しない。
しかし、この理論に加味しなければならない変数が3つある。一つは財務省の行動だ。麻薬取締のように個々のコンテナを開けて、部位の識別を行なうぐらい検 査を強化したとしよう。輸入業者は廃業となり、リスクが高すぎて新規参入も起きない。結果、輸入が減り、国産需要が高まる。ただし、TPP加盟国への工場 移転はさらに加速するため、加工用途の需要は大幅に減る。これまでの財務省の対応からして、そこまで厳格化することはあまり考えられない。
もう一つの変数のほうがビジネス現場では重要である。脱税コストだ。脱税はただではない。大手の食肉メーカーは世間体から大っぴらに違法行為をしない。零 細中小業者に託す。彼らにマージン(=脱税コスト)が残る形でだ。そうした業者も捕まりたくない。だから、ペーパーカンパニーを幾重にも迂回させ、逃れよ うとする。そこにもコストが発生する。問題は、脱税コストが1kg当たりいくらかかっているかだ。ディープな業界筋に聞いても正確な数字はそう簡単に表に は出てこない。いえることは、財務省の取締強化で一部、そのコストは上昇傾向にあることで、現状、20円から30円といったところが業界相場といわれてい る。

 最後の変数は、中堅大手メーカーのコンプライアンスの観点だ。もしばれたときの信用失墜コストに比べれば、脱税コストより高くても、まっとうな税金=関税 (これもコスト)を払っておきたい心理が働く。税金コストと脱税コストが天秤にかけられるのだ。さらには、どの大手企業が脱税体質から一抜けするかの心理 戦もある。最後のババを誰も引きたくない。その意味では、脱税コストの心理的インフレが今後起こってくると筆者は見る。仮に現状の脱税コストが業界相場の 最低kg20円、輸入価格が300円だと想定しよう。表1のとおり、税金コストはといえば、TPP発効年は従量税(差額関税)125円+従価税2.2% (=分岐点価格であれば約12円)となる。脱税したときとのコスト差は113円だ。20円の脱税コストをかけたとしても、1kg当たり93円とお得であ る。天秤にかければ、脱税を選ぶとみるのが順当だろう。発効後5年後はその58円、10年後は50円となる。脱税コストとの差はそれぞれ38円、30円で ある。これぐらいならコンプライアンス経費と大企業が見なすことは十分考えられる。たとえば、大手1社が足を洗えば、他社も一気に追随する。ゲームチェン ジ(世の中の制度やルールの変革のこと。ここでは豚肉ビジネスの脱税常態化から合法常態化への急激な切り替わり)だ。そうすると豚肉ビジネスのゲームの ルールは大きく変わる。大手が直接輸入に関与するようになる。ここで、めでたしめでたしとはならない。これまで汚れ役を演じていた業者や個人が失業する。 捨てられるわけだ。彼らが足を洗うか、それともさらに“闇ポーク”の世界を突き進むか。はたまた、培ってきた現地加工ノウハウなどを駆使して大手が追随で きないニッチビジネスの領域に進出するか。誰にもわからない。
本誌読者の養豚家はごくわずかだろう。それでも、TPP特集の1回目に豚肉を取り上げたのにはわけがある。国家が貿易に少しでも介入するとこうなる、とい う生きた例を示したかったからだ。各者の利害が交錯し、ビジネスが不透明化するのだ。不透明どころか、ダークビジネスといっても過言ではない。国家介入と はその欠陥が社会主義国の崩壊で証明されたとおりである。

自由を安定のために
犠牲にすれば落ちぶれる

農水省には差額関税を設計した1970年当初、社会主義国がそうだったように、「養豚家を保護してやりたい」との誠実さはあったのだろう。筆者はそこは疑 わない。それがなければ、こんな複雑怪奇な制度設計などできやしない。いまも養豚団体は、農水省の誠実さ、財務省の誠実さに訴えて、その取締強化、厳罰化 を求めている。しかし、誠実さほど過大評価されている美徳はない。

 プルタルコス(西暦1世紀のギリシャの哲学者)はこう述べている。「自由の真の破壊者とは利益供与をする人々である」。アメリカ元大統領レーガンはこの箴 言について、「その誠実さや人間的な動機に反して、自由を安定のために犠牲にする者は落ちぶれた道を歩むことになる」と解釈した。まさに差額関税制度のこ とを指している。国産豚肉の需給「安定」という大義の下、豚肉業界の「自由」を奪い、養豚家への「利益供与」を行なっている。通常の利益供与=補助金より 悪質なのは、外国に「賄賂」を国家が払っているのと同等な点だ。法外な高値で日本に売るのを合法化、促進しているからだ。その賄賂を国内に持ち帰る手段が 脱税であり、各種操作なのだ。自由貿易の精神の「真の破壊者」である。
自由貿易の精神とは何か。「自由貿易システムの偉大な美徳とは、人々の肌の色や宗教なんて気にしない。ただ気にするのは彼らが、自分が買いたい何かを作っ ているかどうかだ。これまで我々が発見したシステムのなかで、お互い嫌いな者同士を互いに取引させ、互いに助け合わせることを可能にする最も効率的な仕組 みである」(ノーベル経済学者ミルトンフリードマン)
自由貿易の反対語は管理貿易である。そのいびつな管理の形が差額関税貿易である。それが生み出すのは対立と敵意と憎しみである。官庁と食肉業界、養豚業界 の対立は顕在化している。一部発言を各種メディアや団体ホームページから引用しよう。「悪質な不正に対し業界団体への断固とした抗議や財務省及び関税当局 への差額関税の監視徹底の要請を行う」(日本養豚協会)。「(不正輸入の発覚は)結局、投書や密告に頼るというような結果になっている」(第94回国会議 事録)、「輸入冷凍豚肉の八割以上が脱税がらみだという情報も寄せられている」(第162国会議事録)。「複雑なために悪用されやすい」(日本ハム・ソー セージ工業協同組合)、「豚肉差額関税廃止を、財務省などに是正要請」(沖縄ハム)。

自由貿易と管理貿易
その本質的違いとは

抗議や要請、投書や密告といった、およそ自由資本主義社会とは思えない手段によって、各自の主張が繰り返されている。管理貿易は、自由貿易と違い、異人 種、異宗教の者同士の助け合いを促進するどころか、同じ日本人同士、しかも同じ豚肉業界・管轄官庁同士でのいがみ合いを日常化させている。
本来、世界の農業界・食品業界において、同じ品目にかかわる者たちは皆、仲間である。同じ世界の養豚業界であれば、いい豚肉を作り、仕入れ、加工し、売る 者たちは共にすばらしい豚の食文化を広める同志ではないか。生産者や加工業者、国産や外国産といった垣根を越え、消費者・マーケット志向で同じ品目の業界 団体を形成し、切磋琢磨、協業しあうべきである。
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2016年2月12日金曜日

なぜTPPは”たるんだ”協定になってしまったのか

下記 Web Voice より転載しました。 
http://shuchi.php.co.jp/voice/detail/2671? 

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2015年12月01日 公開
浅川芳裕(農業ジャーナリスト)

「TPPはアメリカの言いなり」の噓

普遍的価値を共有する国々のプラットフォーム



 TPP(環太平洋パートナーシップ協定)はリビング・アグリーメント(生きた協定)である。妥結した内容が未来永劫、フィックスされるように誤解をしている人が多いが、真相はまったく異なる。
 21世紀型の世界基準となるべき共通ビジネス・ルール構築実現がTPPの目的だ。“生きた”の名のとおり、関税・サービス・投資などの自由化合意につい て、全12加盟国が実施フェーズに移行させていきながら、今回妥結できなかった積み残し事項についても、交渉がいずれ再開される。そのプロセスは継続し、 今後、さらに高い水準の自由化をめざしていく。その道は不可逆的である。
 その前提条件の下、自由や法の支配、民主主義、基本的人権といった普遍的価値を共有する国々が相互関係を深めていく環太平洋地域のプラットフォームがTPPなのだ。
 がゆえに、参加資格のあるAPEC(アジア太平洋経済協力)加盟国でありながら、その価値が共有できていない、もしくはその模索・途上段階にある国はこ の交渉の場に不在であった。中国やロシア、韓国、インドネシア、パプアニューギニアなどの国々だ。同時に、それらの国の一部はTPP妥結を受け、世界 GDPの40%を占める経済圏に取り残されまいとすでに参加意向をほのめかしたり、懸念を表明しはじめている。
 ここで何よりも重要なのは、オープンかつ透明なルールをTPP現加盟国が作り続け、遵守していくことだ。中国やロシアに代表されるように、その時々の政治情勢で国家が貿易に介入し、世界経済を混乱させてきた新たな加盟候補国に対して、協定の規律を明示するためである。
 そうした将来像を先取りしながら、現実の日本農業の方向性、食料政策のあり方を再定義し、未来像を現場の農業者、そして一般国民と共有するのが本稿の役割である。

衛生植物検疫(SPS)措置とは何か


 ところが、日本の農政に目を向ければ、時代錯誤的なTPP認識がいまも続いている。妥結後、農政はTPP対策一色である。すなわち、交渉参加前からこれ まで5年間繰り返された「TPPで日本農業壊滅」宣伝戦略の延長戦上で、「農業予算の増額と分捕り合戦」が再燃しているのだ。
 同時に、TPP妥結で「危険な食品が大量に入ってくる」「日本人の安全な食が侵される」といった従来からの報道や国民認識も根強く残っている。
 双方の議論とも的外れだ。
 どこが的外れなのか。まずは第2の論点「食の安全面」から見ていく。
 この分野を扱うのは、TPP協定書第7章の「衛生植物検疫(SPS)措置」である。SPSとは、農畜産物の輸出入に伴う有害病害虫の侵入を防ぐために加 盟国に認められているものである。それは同時に、人の健康や生命の保護を確保する食品安全についても、各国が必要な措置を取る権利を認める。結論からいえ ば、TPPによって日本の食品の安全がある日突然、脅かされるようなことはない。公開されているTPP妥結内容を見るかぎり、輸入時の検査基準が緩くなる といった国内の制度変更が必要となる新たなルールは設けられていないからだ。
 そもそもSPS措置は、なにもTPPで初めてできた基準ではない。20年も前の1995年、WTO(世界貿易機関)の誕生と同時にWTO・SPS協定が 締結されて、その国際ルールに則っている。TPPに限らず、これまで世界中で締結されている自由貿易協定も同様であり、専門家のあいだでは「日本の食の安 全が侵される」といった主張、報道は当初からデマだと片付けられていた。
 これだけでは納得できない向きもあろう。そこで、SPSとは何か、そのルールについて理解を深めていこう。特徴は2つある。「国際基準に整合すること」「科学的根拠に基づいたリスク評価を実施したうえで、適切な保護の水準を決定していること」である。
 前者の国際基準を決めるのは、残留農薬や添加物などの食品安全については食品規格委員会(Codex)、口蹄疫やBSEなどの動物衛生は国際獣疫事務局 (OIE)、病害虫の植物防疫は国際植物防疫条約(IPPC)事務局となっている。TPP交渉の場は、そうした専門機関に代わって国際的な新ルールを設計 する場ではそもそもない。それ以前に、日米をはじめとするTPP加盟国では現状の国内法もその国際基準に基づいたものになっている。
 後者については、多国間交渉のTPPの価値が発揮された。第7章において、「各締約国のSPS措置に係る手続の透明性の向上に関する規定」が設けられた ことによる。さらに「地域的な状況に対応した調整、措置の同等、科学及び危険性の分析、監査、輸入検査、証明、透明性、協議等について規定」も細かく定め られている。
 いくら国際基準に整合しろといっても、守らない国はある。この規定によって、実際にどんな措置をしているのか情報公開を加盟国に要請することができるようになったのだ。肝心なのは、求められた国はすべての情報を提供する義務が発生する点だ。
 これは日本が食品を輸入する場合と輸出する場合の双方にメリットがある。輸入の場合、TPP以前でも日本の安全基準に沿って、相手国は輸出検疫や検査を する必要がある。ある品目で基準違反が発見されるケースが多い場合など、これまでも照会はできたが、すべての検査情報を公開する義務はなかった。新たな規 定によって、相手国に対して安全ルールの遵守・徹底を促す契機になる。
 それでも、相手国の対応に「懸念がある場合には、180日以内に解決することを目的として、要請の受領から37日以内に専門家が関与する協議(TPP協 定独自の協力的な技術的協議)を求めることができる」ルールが設定された点も大きい。これまで貿易相手国のSPS措置に問題点があった場合、国際的な解決 手段としてWTOの紛争解決機関(DSB)が用いられてきた。まず、パネルが設置され、双方の主張がヒアリングされる。科学的根拠に基づく報告書が提出さ れたのち、上級委員会が判定する流れだ。問題は、160カ国以上が加盟するWTOにおいて、会合を1つ開くにしても時間がかかる。会合を積み重ね、解決ま でに数年から5、6年かかることもざらにある。貿易の促進役であるべきWTOが反対にその障害になっている実態があった。こうした官僚的な対応を改め、先 述のように要請から協議開始、解決までのタイムラインを明確にしたのだ。

国際基準自体がアメリカに操られるという勘違い


 以上のルールは、日本からの農産物・食品輸出にあたり、相手国の障壁改善にも直結する。日本の農業者や食品事業者が国際基準に整合した相手国検査に合格 する商品を輸出したとする。にもかかわらず、仮に相手国が自国の生産者を守ろうと恣意的に不合格とし、輸入をストップしたとしよう。言い換えれば、SPS はあくまで食の安全のためのもので、国内農業保護の隠れ蓑にSPSを使ってはならないというルールに違反した場合だ。
 そういうときに、情報公開要求や技術的協議ルールがその是正に効力を発揮することは容易に理解できる。結果として、安全基準が厳格化されることはあっても緩和されることはない。
 こうしたルールを知ったうえでも、TPPによって食の安全基準が下がるという主張もありえるだろう。デッドラインを設けることで、WTOに比べ拙速な議 論にならないか。それによって、安全基準が下がらないか、また、アメリカの言いなりになるのでは、といった言い分だ。それをいうなら、科学的な調査を行な い、判断を下す専門家を誰も信頼できない、といっているに等しい。日本人の専門家であっても間違えることは当然ありえる。2カ国協議であれば政治的力関係 に左右されることはありえるが、TPPという12カ国が関与することで偏らず、よりバランスと整合性のとれた結論が導きやすい点も注目すべきだ。
 それ以前に、国際基準自体がアメリカに操られるのではないか、という言い分も成り立つかもしれない。百歩譲って仮にそういう基準があったとしよう。 WTOならびにTPPのSPS規定では、日本は科学的なリスク評価に基づいていれば、国際基準より高い安全基準を設けることは妨げるものではない。
 その証拠にBSE牛肉問題の際、日本はアメリカから過剰規制だと抗議されるなか、独自のリスク評価でその禁輸を続けた実績がある。日本に限らず、WTO 加盟国161各国がその権利を有している。当然、新たな規制を輸入農産物を増やさないための口実として使ったり、相手国によって恣意的に異なるルールや不 当な差別が生じるようなものは禁止されている。
 SPS規定に加え、TPPによってさらに加盟国消費者のための食の安全を高める包括的な体制がつくられたことはほとんど知られていない。意図的にルール 違反しているわけではなく、国際基準を満たす意思のある国々への対応だ。技術面や制度面が未整備のため完全に履行できない発展途上の国もある。たとえば、 協定21章「協力及び能力開発」である。「協定の合意事項を履行するための国内体制が不十分な国に、(筆者注:先進国が)技術支援や人材育成を行うこと等 について定める」条項だ。
 こうした体制整備についてはそのほか、5章「税関当局及び貿易円滑化」、17章「国有企業及び指定独占企業」、25章の「規制の整合性」、26章「透明 性及び腐敗行為の防止」、27章「運用及び制度に関する規定」、28章「紛争解決」、29章「例外」、30章「最終規定」などが相互補完する仕組みになっ ている。
 かつてTPP反対論者の紋切り型の批判として、「TPPは農業分野だけではない。24分野もある。すべてで自由化されれば、国が亡びる」といった議論が あった。これまで読めばわかるように、農産物や食の安全の1トピックを取ってみても、その整合的な実現をめざすために5年の時を積み上げて、相互に関連す る30章から成り立つルールブック(協定)を作ってきたのである。日本の交渉参加当時、そのうちの24章が進行し、明らかにされていただけだが、国際通商 協定の分析についてずぶの素人であった反対論者らは、それを勝手に24分野と誤読し、間違った解釈・情報を拡散していただけなのだ。
 もちろん、ルールブックを作ったからといって、すべてがうまくいくわけではない。たとえば、通関で役人に賄賂(26章が扱う腐敗行為の一種)を払って危 険な食品を輸出入するといった犯罪行為が一晩でなくなるわけではない。政府事業入札での贈賄など、日常茶飯事の国もある。TPP加盟国の一部政府は少なく とも、そうした行為の横行、対策に頭を悩ませているのは確かだ。であればTPPを活用してよりよい制度を導入したり、人材育成の支援を仰ぐなど地道な対策 を講じればよい。
 もっと開かれた豊かな国になりたい、と同時に公平な共通ルールを採用したいという国々が集い、切磋琢磨していくルール・メイキングと課題解決の場としてTPPがある。こう正確な認識に改められれば、反対論者に影響されてきた読者も腑に落ちるのではなかろうか。

自由資本主義、民主主義国が内包するメカニズム


 それでも、遺伝子組み換え(GM)作物の貿易に懸念をもつ読者がいるかもしれない。GM作物について、TPPでは「承認に際しての透明性の向上(申請に 必要な書類、危険性・安全性評価の概要の公表)、未承認の遺伝子組み換え作物の微量混入事案についての情報の共有(開発企業からの情報提供の促進等)、情 報交換のための作業部会の設置等」を規定した。
 わかりやすくいえば、各国の法令および政策の範囲内での対応を求めるものであり、日本については現状と何ら変わらない。途上国にとってはTPPを通じ て、GM作物についての情報が得やすくなったり、他国の制度を参照しやすくなるなどメリットが大きい。アメリカ主導ですべてが決まるとの反対論者の主張は ここでも誤っていた。促進派のアメリカに対し、慎重派の日・豪・ニュージーランドが交渉した結果である。その賛否は別として、テーマごとの是々非々につい て、ここでもTPPという多国間交渉のメリットが発揮されている。
 ほかの反対理由を探せば、食料をある国に依存しすぎれば、ある日突然、輸出をストップされたらどうするのか、という議論もあった。これについてはまず今 回のルールで、輸出をしづらくする「輸出税の禁止・撤廃」が決まった。これはWTOでは、そこまで規定のないTPP独自のものだ。
 輸出制限については、WTOにないルールとして以下が加わった。「(1)実施30日前までに通報すること(2)輸出制限措置を導入する必要性について情 報提供すること(3)締約国からの質問に対して14日以内に書面で回答すること(4)輸出制限措置は原則6カ月間とし、対象品目の純輸入国との協議なしに 12カ月を超えて維持できないことを規定」する。反対派の杞憂とは反対に、これまでより規律が高まったことは間違いない。
 わざわざこのルールがなくても、輸出国(実際は国というより各農業者、食品業者、商社などの民間事業者)は相手国に顧客がいるから生産・販売しているわ けである。当該国政府が何らかの理由で輸出をストップして困るのは民間業者のほうである。第3国を迂回しても届けようとするのがビジネスだ。仮にそれがス トップされれば、競争相手の他国の事業者が商機を見出し、こぞって日本へ輸出を始めることは交易の歴史が証明している。
 アメリカがかつてソ連に対して食料の輸出禁止をした際、フランスに需要を奪われ、怒った農家がその大統領を再選選挙で落としたこともあった。新大統領は 解禁を公約に掲げ、農家、地方票をがっちり掴み当選したことはいうまでもない。自由資本主義、民主主義国には、国民の反対を押し切って長期に禁輸などでき ないメカニズムが内包されているのだ。だからこそ、TPPはそうした価値観を共有する国が参加しているのである。
 そうはいっても「もしものとき」はどうするのか。そのためにあるのが石油備蓄であり、食料備蓄である。税金を使って、どれだけの期間分の備蓄を保有するのかはまた、政策議論と選挙を通じた国民判断である。


国際交渉に勝利したという幻想


 次に、第1の論点に移ろう。TPP農業交渉の問題点とその後の農政のあり方である。妥結直後の安倍総理の会見内容にすべてが集約されている。
「聖域なき関税撤廃は認めることができない。これが交渉参加の大前提であります。とくにコメや麦、サトウキビ、テンサイ、牛肉、豚肉そして乳製品。日本の 農業を長らく支えてきたこれらの重要品目については、最後の最後までギリギリの交渉を続けました。その結果、これらについて関税撤廃の例外をしっかりと確 保することができました。(中略)新たに輸入枠を設定することとなるコメについても、必要な措置を講じることで、市場に流通するコメの総量は増やさないよ うにするなど、農家の皆さんの不安な気持ちに寄り添いながら、生産者が安心して再生産に取り組むことができるように万全の対策を実施していく考えでありま す」
 コメについて要約すれば、自由化は避けた(現在の国産米より高い㎏341円の高関税を維持)。その見返りに、輸入枠は増やした(米豪から5・6万t、 13年目以降7・84万t)。その分、政府が買い上げる国産米の量を増やしていく。その結果、コメの供給量は変わらないから、米価の下落を抑えられるは ず。加えて、補助金を増額するから安心してくれ、とのメッセージである。
 総理はTPPでコメを守ったというが、これでは日本の稲作産業は衰退まっしぐらだ。今回のTPP交渉でコメと競合となる麦については、関税に相当する マークアップ(農水省が輸入時、徴収する差益)は45%から最大50%削減されることになる。つまり、麦の価格は下がっていく一方、コメの価格は高止まり をめざす、といっているのだ。よって、麦を使った食品開発はさらに進み、買いやすくなる一方、人為的にコメ離れが進んでいく。さらには、農水省は飼料米へ の補助金額を大幅に増額し、家畜用の作付面積を増やすことで人間が食べられるコメを減らし、隔離する愚策強化を図っている。
 この最悪の政府シナリオを予見し、筆者は今年8月2日段階で次のように問題提起したが、現実のものとなってしまった。
「TPPの妥結が迫っている。しかし、日本政府は相変わらず、コメの輸入枠を増やすという禁じ手で交渉相手国の譲歩を最後まで求めている。自由貿易を否定 する暴挙であり、国家同士の管理貿易強化に帰結する。これは、米国にとっては自由競争をせずとも、日本への輸出枠を確保し、自国の農業界に対するメリット 提供を意味する。対する日本政府にとってはコメの輸入量を人工的にふやすにもかかわらず、『聖域を守った!』と喧伝できる口実となる。あたかも国際交渉に 勝利したという幻想=国内政治的ポーズを農業界に対して示すことだけに意味があるのだ。つまり、国内に農業・農村票をかかえる日米の政治家同士の手打ちで ある。しかし、その結末は、日本の消費者の負担増のみならず、国内穀物生産の減産政策を助長し、残念ながら、より補助金に依存する農業政策に直結する。こ のシナリオの勝者は、輸入権益、補助金予算を自動的に強化、増大できる日本の農水官僚である」(『日本よ!《農業大国》となって世界を牽引せよ』あとがき から一部抜粋)
 換言すれば、国主導の農政に先祖返りである。発展に真っ向から逆行する、3つの政府介入(1)国家貿易の維持(2)作物差別的な補助金設計(3)食品工場の海外移転促進政策がTPP後も継続されることになった。
 本来、農家の創意工夫で増産すれば、作物は余るものだ。余ったときに農業は初めて産業になる。どうやって売るか考えるようになるからだ。面積当たりの収 穫量は増え続け、土地も余る。それは農家にとって、ボーナスである。同じ面積で、新たな作物に取り組め、収入が増やせる機会になるからだ。輸入が自由化さ れれば、世界から新たなコメ食文化、商品が広がる出発点に立てる。モノの動きを不自由にしたまま、継続的に発展した産業はいまだかつてない。
 最悪なのは、(1)の農水省のコメ輸入独占業務「国家貿易」を温存したことである。その1点をもってして、筆者にいわせれば、TPPは“たるんだ”協定 となった。この広がる経済圏において悪しき慣習をつくってしまったからだ。将来的に参加の意向を示している中国の農産物マーケットを想定してである。政府 は輸入を規制したまま、コメの輸出振興を図っているが、そんな自分だけに都合のいいルールなどありえない。
 かつてのレアメタル問題に代表されるように、貿易への国家(国営企業や政府による)介入は中国の18番である(ちなみにロシアはウクライナ問題に対する 経済制裁として、農産物の輸入規制を継続中だ)。要するに、いずれ中韓露が参加意向を示した際、日本自らが介入を「聖域を守った」と正当化するなか、彼ら の介入を禁止する条件交渉で積極的な役割を果たせるはずがない。もちろん、日本が高関税を残したままでは、相手国に対して関税撤廃どころか削減交渉すらで きるはずもない。このままでは中国マーケットに向けた農産物の輸出増大は絵に描いた餅である。

農業保護政策が食品工場の海外移転を促した


 現在、中国は日本米に対して法外な検疫条件を課している(日本米には中国未発生のカツオブシムシがいるとされ、輸出前に全量「燻蒸」しなければならな い。当然、食味は下がり、コストは上がる。昨年の中国向けの輸出額はわずか8000万円にとどまっている)。その他、輸出解禁されている品目は青果がメイ ンで、牛肉や乳製品は禁止されたままである。
 もう1つの問題、(3)食品工場の海外移転促進の加速化についても触れておこう。
 長年の農業保護政策とは、食品の基本原材料(政府のいう「聖域」である重要品目)に高関税を課す一方、加工食品については低関税か無税で輸入すること だった。食品産業はこれまで、重要品目と政府が呼ぶコメや麦、デンプン、砂糖、バターなど乳製品、生肉など基本食材を国際価格の2、3倍以上で調達してき た。工業界で例えれば、日本だけが石油や鉄、銅などを他国の数倍の価格で輸入しているハンデを背負った状態と同じである。
 この政策が何を促すか一目瞭然だ。食品工場の海外移転である。日本で高い原料を買うより、海外で原材料を調達、加工し、低関税か無税で日本へ輸出したほ うが儲かるからだ。われわれが日常食べているものの7割が加工品である。農業界にとっても、最終顧客の大半が加工業者であることを意味する。にもかかわら ず、この政策によって移転を促進させ、国産農産物の実需低減、地域雇用の低下をもたらすなど、地方の疲弊に直結してきた。これが背景と経緯である。
 他方、農産物の域内関税を大幅削減したEUでは各国の得意な原材料農産物の移動が自由化したため、食品産業の競争環境が整った。そのおかげで、食品加工 が得意な国・地域に原材料が集まり、農産物の輸入が増えるほど輸出も増えるという加工貿易が活発化した。同時に、海外需要が増えることで、国内農産物の需 要も底上げされる環境が整い、農業の成長産業化が始まる契機となった。

輸入を不自由にすれば輸出も不自由になる


 今回のTPP交渉で、筆者が当初から提言してきたとおり、日本も「聖域」をなくしていれば、農産物の加工貿易が発展するスタートラインに立てたはずだっ たが、結果は違った。低関税・中関税だった加工品のほとんどは数年で無税化の道を辿り、上に挙げた「重要」品目は徐々に関税は下がるものはあるが、安倍総 理が力説したように、全般的に「聖域」が残ってしまった。
 要するに、原材料農産物は高関税のままか少しだけ下がり、加工品は一気に下がる。これでは食品産業にしてみれば、短中期的にも長期的にも海外で製造した ほうが「よりお得」という結論しか導き出せない。聖域が残って、農業者の顧客がいなくなっては本末転倒である。売り先の減少により、国内農産物の過当競争 が激化し、農場の利益率が低下する。農業保護どころではない。
 この点については、気が早いといわれるかもしれないが、TPP再交渉戦略についてまたの機会に詳しく提言したい。
 もちろん、妥結によって農業界にメリットがまったくなかったわけではない。日本の農産物輸入関税が下がったと同様、ほかの加盟国の関税も下がった。数例 を挙げれば、マレーシアとベトナムのコメ関税が40%からいずれゼロに、両国やメキシコのミカンやブドウ、モモ、リンゴなどの果実に対する数10%の関税 も同様に撤廃される。世界最大の農産物輸入国であるアメリカは、ほぼすべての品目で関税撤廃に応じた。日本からの有力輸出品目であるコメや牛肉、日本酒、 茶、さくらんぼ、イチゴ、メロン、ナガイモ、切り花、醤油などである。
 日本だけが自由化を求められているような論調もあったが、結果を見れば明らかに違っている。他国の自由化率(関税ゼロ品目の割合)が平均99%に対し、日本は唯1、95%止まりともっとも開放比率が低い。
 参加当初は「TPP交渉参加11カ国は食料の輸出国ばかりだから日本のみ輸入が急増する」との反対論があったが、こちらは端から事実と異なっていた。 11カ国の農産物輸入こそ急増している。経済成長と人口増加によって、ここ10年で、859億ドルから2308億ドルへと約3倍増している。TPP輸入市 場とは日本農業にとって輸出市場である。日本の農業GDP653億ドルの4倍に迫る農産物マーケットが現れたのだ。
 過去5年間、情緒的で無根拠な反対論が際限なく繰り広げられるなか、その再反論に筆者も奔走してきた。今回のTPP妥結に不十分とはいえ意味があったとすれば、われわれに自由の原点を少し思い出させてくれたぐらいだ。
 輸入を不自由にすれば、輸出も不自由になる。経営を不自由にすれば、発展も不自由になる。不自由は現状維持さえ危うくする。長く続いてきた保護主義という名の不自由強制を当たり前と思い、そんな基本的なことを忘れがちであったのではないか。
 過熱化しはじめたTPP対策予算の分捕り合戦を繰り広げている者に告げる。農家の自由はTPPによって生まれるのではない。日本の農業界が自ら戦い、勝ち取っていくものである。「農業のことは農業の当事者、農家の判断に任せればいい」――それが真の自由化である。
※2015年10月26日執筆

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2016年2月10日水曜日

TPPを考える Part 1

農業技術通信社の農業総合専門サイト「農業ビジネス」から 転載致しました 

素人にとって、難しい、よく判らない、が現実。
日本の保険・医療制度が崩壊する。
農業が壊滅する。
ISD条項(投資家対策)でやたらと金をふんだくられる。
等々の恐怖論、日本破綻論が氾濫している。

一方で、そんなことはない、むしろ自由公正な貿易ルールのプラットフォームができて、
加盟国は発展の機会を掴むのだ。
日本の農業も世界に打って出る大きなチャンスとなる。
等々の期待論もある。

ここでは、その両方の主張を拾って 、比較検討の材料にします。


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 「来たれ!TPP【前編・基本講座】2016年02月04日」
                   http://agri-biz.jp/item/detail/4240
TPPは日本の将来にとってどんな意味があるのか。農業界にどんな影響があるのか。
そして、農業経営者はどう動くのか。その基本、活用法、実践法を3回連続特集で
お届けする。 構成/浅川芳裕  

(掲載者註:全文を載せるには長過ぎますので、要点のみ掲載します)

PART1 TPP合意の意義と展望 
国際通商交渉の第一人者が、TPP合意について10の疑問に答え、
その本質的メリットに迫る。

【TPP交渉の総合評価】

今回のTPP交渉をどう評価するべきか。2015年10月5日のTPP大筋合意で日本は何を獲得し、何を失ったのか。この問題は年明けの国会でも取り上げられており、いまや国民的関心事となっている。
昨年は終戦から70年の年であると同時に、日本の戦後国際社会への復帰の第一歩だったGATT(関税貿易一般協定)加入から60年、GATTの後継機関で あるWTO(世界貿易機関)設立から20年の節目の年だった。その年にTPP大筋合意ができたことは歴史的に重要だった。なぜなら、TPP合意により日本 の貿易自由化の歩みがいよいよ完成期に入ったといえるからである。
TPPが成立すれば日本は究極の貿易パートナーであるアメリカとFTA関係に入ることで「経済安保」を確立したことになる。TPPにより経済的安定とビジ ネスの予見性を獲得し、国際経済に内在する不確実性を減少させることができた意義は大きい。コメや麦、牛肉や豚肉などいわゆる「重要5品目」についても関 税撤廃の原則適用を逃れたわけで失ったものは何もないと筆者は考えている。その農業でさえ、筆者はTPPでさらに強くなれる基盤を国内外で整えていく機会 を得たと見ている。


Q1:TPPの日本経済への効果はどの程度のものか。
   GDP1.6%との評価もあるが、それは妥当か。
A1 :TPP参加各国の関税撤廃による日本製輸出物品の関税負担額の軽減効果は一般的に「静態的効果」とされているが、それだけではなく、投資や競争、 SOE(State-owned Enterprise=国営企業)に関する規律などルール面での規律がTPPによって確立されたことが重要である。このような新たなルールはまだ完全なも のではないにせよ、今後アジア太平洋地域におけるルール策定の「ひな型」となるものであり、ビジネスを円滑に行なうための法的基盤を提供する。このような 新たなルール形成によるTPPの「動態的効果」は「静態的効果」を超えてその波及効果はさらに大きい。

Q2 :安倍政権の決定と交渉方針をどう評価するか。
A2 :12年12月の政権奪取後の安倍政権の取り組みは準備周到で効率的だった。まず13年2月に日米首脳会談を行ない、そこで日本にとっての農業とアメリカに とっての自動車を日米双方の「センシティビティ」(痛みを感じる部分)として特定し、その後3月に交渉参加を正式決定、4月に基本的には日米で「痛み分 け」の構造を作り上げ、いわば「センシティビティの交換」という形で「例外なき関税撤廃」というTPPの当初の大原則を修正し、このことをアメリカに認め させたのはその後の交渉を促進するうえでたいへん有益だった。
交渉態勢についても内閣府にTPP対策本部を設置し、従来のEPA交渉に比べてより首相権限に直結した形で交渉チームを構成したことは迅速な交渉とそのた めの国内環境づくりを効果的に促進した。TPP交渉は10年3月から始まっており、日本はそれから3年4カ月遅れての交渉参加だったが、この遅れは日本に とっては不利に働くどころか、むしろ日本が交渉参加してから関税撤廃の例外が認められることになるなど、日本が「ゲーム・チェンジャー」として存在感を発 揮したとさえ思われる。さらに、アトランタでの最終局面においては、甘利明TPP担当大臣が交渉決着に向けてマイケル・フロマンUSTRに強く迫るなど、 妥結に大きく貢献した形となった。

Q3 :市場アクセス(関税撤廃・削減)に関する交渉結果をどう見るべきか。
A3 :TPP交渉の結果、日本以外の11カ国の最終的な関税撤廃率は99%台であり、発効後ほぼ10年でTPP参加国の関税はなくなることになる。これは日本に とって大きなメリットがある。他方、日本の最終的な関税撤廃率は95.1%となっているが、これは工業製品では100%と完全な自由化になるものの、農林 水産品では81.2%と参加国中最低レベルにとどまっていることによる。ちなみに、日本以外の11カ国は農林水産品についても98.5%の関税撤廃率と なっている。(【表1】を参照) 
日本の輸入農産品について見ると、センシティビティの高いいわゆる「重要5項目」については全体で586品目あるうち、輸入実績がないものや国内生産者へ の影響がないと判断された約3割に相当する174品目について関税を撤廃することとした。他方、それ以外の約7割については関税を維持することで合意して いる。(【表2】を参照)
たとえばコメについては、国家貿易により輸入するものについてはアメリカに当初5万tの数量枠を3年間維持した後、段階的に増加して発効後13年目以降は 7万tにすることで合意した。オーストラリアにも13年目以降8400tの枠を設定した。国家貿易以外によるコメの輸入については現行税率である1kg当 たり341円を維持することが合意され、これが日本側にとっての「最大の成果」となっている。
牛肉については、現行の38.5%から16年目以降に9%に下がり、豚肉については、現行4.3%の高価格帯のものについては発効後10年目でゼロになる が、低価格帯の豚肉にかかる従量税は現行の1kg当たり482円から10年目に同50円にまで削減されることになった。これらについては輸入急増に対応す るためのセーフガード措置(緊急輸入制限)も用意されている。
このように日本のセンシティビティに配慮した十分な例外措置が確保された一方で、他方では日本からの自動車・自動車部品輸出についてはアメリカ側のセンシ ティビティに配慮した形で関税撤廃は大幅に先延ばしになった。乗用車の場合、現行2.5%の関税は15年目から削減が始まり、25年目にようやく撤廃とな る。トラックは現行30%と高関税だが、これについては何と29年間関税を維持し、30年目でやっと撤廃となる。これは日本の自動車工業界にとっては必ず しも朗報ではないが、他方では自動車部品についてはその87%が即時関税撤廃されることには大きな意味がある。日本の自動車メーカーによるアメリカでの現 地生産台数は約250万台であり、日本からの輸出台数の約180万台を超えているからである。
このような「センシティビティの交換」とでも呼ぶべき市場アクセス交渉をどう評価するべきだろうか。従来の日本の農業保護主義に鑑みれば、TPP交渉にお いては大きな政治的決断がなされたと評価することができるが、他方では日米というTPPを代表する貿易大国が互いのセンシティビティを擁護する形で高関税 を維持したり撤廃を大幅に先延ばししたことは自由貿易という名の下に行なわれた「管理貿易」とのそしりを免れない。とくにコメについては日本での価格が1 俵(60kg)当たり約1.2万円程度まで下がってきた一方で、アメリカ産の高級米がドル高円安の影響もあって同水準にまで上がってきたことにより、コメ の内外価格差がなくなりつつあるときに、果たして高関税で国産米を保護する必要があったのかという根本的疑問は残っている。

Q4 :TPPについては、食の安全や日本の皆保険制度が脅かされるなどの(あまり根拠のない)懸念が抱かれた。何が原因か。
A4 :JA全中(農協)がTPP反対の「多数派工作」をしたもの。JAは医師会、弁護士会などを巧みに抱き込んで反対運動を組織化し、全国的に展開していった。

Q5 :TPPの「経済」を超えた重要性についての評価如何。戦略的な価値はあるか。
その中身はどうか。
A5 :市場経済、法の支配、人権、民主主義などの西洋型普遍的価値体系がTPPを通じて東アジア圏に広がる基本を形成したといえる。ASEAN(東南アジア諸国 連合)やRCEP(東アジア地域経済連携)などにも制度構築のうえで重要なインパクトがありうる。その意味でTPPは極めて「戦略的」といえる。

Q6:TPPのアメリカ議会での承認について。その可能性と時期はどうか。
A6 :TPPをめぐるアメリカ議会の動向は不透明である。批准のためには上下両院で多数派を擁している共和党の賛成が不可欠だが、バイオ医薬品のデータ保護期間 の12年から8年への短縮は党内ですこぶる評判が悪い。共和党の指名選挙の前哨戦でトップを走るトランプ氏は明確にTPPに反対している。また、自らが国 務長官時代には明示的にTPP推進派だったヒラリー・クリントン氏も「現在のTPP」には賛成できないと条件付き反対を表明している。したがって、TPP 承認の今後の展開はよくわからないし、決して楽観できない。
推察の域を出ないが、一つのシナリオとして蓋然性が高いのは、「本命」とされる民主党のクリントン候補が大統領選を制した場合、オバマ大統領の花道を飾る 形で今年11月の大統領選挙後に共和党と超党派で批准に合意、TPP実施法案を通過させ、発効に至るという流れが想定される。このシナリオでさえ相当楽観 的と思われるが、その場合でもTPPの発効は早くて2017年年初ということになる。

Q7:日米関係に及ぼす影響にはどのようなものがあるか。
A7 :日米経済関係は戦後1950年代の繊維に始まり、鉄鋼、造船、テレビ、ボールベアリング、半導体、自動車と日本の経済発展の花形的産品で常に「摩擦」を経 験してきた。その日米両国がFTA関係に入ることは極めて重要であり、画期的といえる。日米は政治軍事面での同盟関係である日米安保条約を1960年以来 有しているが、経済面ではこれまで包括的な法的枠組みを持っていなかった。その意味でTPPは日米間の「経済安全保障」の枠組みであり、日米間で将来にも 紛争は起こりうるが、TPPの紛争解決メカニズムがビルトインされたことで経済問題の「政治化」が起こりにくい。これは双方にとって大きなメリットであ り、経済関係の安定化に大きく寄与する。


Q8 :中国に与える影響。中国の参加についての展望。
A8 :中国が2、3年以内にTPPに参加することは難しいが、RCEP交渉の進展がはかばかしくなければTPPに中国が乗り換える可能性は十分にある。TPP入 りは中国にとって「第二の入世(WTO加盟)」ともいわれている。中国は従来RCEPにその軸足を置いてきた。しかし、RCEP交渉はインドやインドネシ アが貿易投資の自由化に積極的ではないことからスピード感をもって東アジア地域のコネクティビティを改善していくことができないことに中国自身がフラスト レーションを感じ始めている。以前から中国の識者の一部には「TPPは西洋医学、RCEPは漢方医学」と両者の違いを説明する向きがあったが、中国社会科 学院の永久会員である張愠琳氏はTPPとRCEPの「補完性」を指摘し、両者は対立するものではなく相互に補完しあう枠組みであると筆者と共に出演した NHK国際放送の番組などで述べている。

Q9:他のアジア太平洋諸国も次々と参加すると考えていいのか。
A9 :インドネシア、CLM(カンボジア、ラオス、ミャンマー)のASEAN4カ国は当面難しいだろう。インドネシアについてはアトランタ合意の後、オバマ大統 領と会談したジョコ・ウイドド大統領は自国もTPPに参加したいとの意向を表明したと報道されている。韓国、タイ、フィリピン、台湾などはすでに正式に参 加表明するなど積極的である。参加のためには現加盟国12カ国との交渉を経る必要があり、そのプロセスは決して容易ではないが、TPPがAPEC(アジア 太平洋経済協力)の自由貿易圏であるFTAAPの中核となることはほぼ確実である。

Q10:広く、世界の貿易秩序に与える影響はどうか。
米・EU間のFTAであるTTIPや日本・EUEPA交渉の動きを加速することになるか。
A10 :TTIP(環大西洋貿易投資パートナーシップ。アメリカとEU間の自由貿易協定)には「古くて新しい問題」、たとえばGI(地理的表示)やSPS(衛生検 疫措置)協定の「予防原則」をめぐる問題がくすぶっており、ISDS(投資にかかる投資家対国家の紛争処理)に見られるような欧州側の疑心暗鬼もあり、 「規制収斂・凝集性」の分野が難問となっている。しかし、TPP合意は全体として欧州に対してもやはりポジティブなメッセージといえる。日・EUについて は、EUが野心的になり過ぎなければまとまるが、現時点ではEUはTPP以上のMA(市場アクセス)を主張しており、難航している模様である。日本側も TPPの国会手続きとの関係で大胆な農産品関税撤廃・削減を提示できない国内事情があり、15年の年内妥結には至らなかった。

 ASEANやAllianza del Pacifico(太平洋同盟=メキシコ・コロンビア・ペルー・チリ)等の穏健派途上国をlike-minded countries(政策や基本方針などにおいて思いを同じくする国々)としてCritical Mass(全体の方向性を決定するような多数派)を形成し、WTO・DDA(ドーハ開発アジェンダ。一般にドーハラウンド)をまとめ、日米欧加の「旧4 極」主導でWTOの再興を果たすことを目指すのが現実的なアプローチと考える。しかし、問題はブラジル、ロシア、そしてインドである。つまり、 「BRICsマイナス中国・南ア」の国々である。ロシアはまともな製造業がないことと、ユーラシア経済共同体という「似非関税同盟」が問題である。戦略的 には中国とロシアを分断し、中国をTPPに組み入れる一方、ロシアについては極東ロシアを「独立した関税地域」としてAPECの枠組みの中でRCEPに参 加させ、また日本とのEPAを締結する方向へリードするなど、戦略的に対応することが重要と思われる。

【TPPの日本経済にとってのメリットは何か?】

最大のメリットはアジア太平洋地域における生産ネットワークの「シームレス化」である。85年9月のプラザ合意以降、日本の製造業は円高ドル安への流れに 対応するために部品の製造拠点を東アジアの新興工業国(NIEs)や中国に移転させ、部品から最終製品まですべて日本で製造する「made all in Japan」方式から、部品は海外で生産し、それを日本ないしは海外のマザー工場で組み立てて欧米市場に輸出するパターンへ、つまり「made by Japan elsewhere」方式へ移行した。
その動きを加速したのがASEANのFTA(AFTA)形成だった。日本の製造業はASEAN域内で最適立地を模索し、各国に直接投資を活発に行なって部 品の現地生産を拡大した。その部品をAFTAのCEPT(包括的実効特恵関税)スキームに乗せて40%以上の付加価値を付けた場合には関税ゼロで ASEAN域内を動かすことができたため、次第に域内に工程間分業のメカニズムが構築されることになる。
このような産業内分業のメカニズムを確固たるものにしたのは日本のASEAN諸国との二国間EPA(経済連携協定)であり、2002年11月に発効した 日・シンガポールEPAを皮切りに次々と締結された。こうして日本からの投資を引き金としてスタートした生産ネットワークの構築による「事実上の統合」 (de-facto integration)はEPAという法的枠組みによって補強された「法律上の統合」(de-jure integration)に深化していったのである。そして、その延長線上にあるのがTPPである。
 TPPは東アジアの生産ネットワークを太平洋を超えてアメリカ・カナダ・メキシコというNAFTA(北米自由貿易協定)の市場につなぎ、さらにペルーやチ リといった南米諸国、オーストラリアとニュージーランドのオセアニア諸国にリンクさせるものである。こうして世界のGDPの約38%をカバーする地域に継 ぎ目のない、つまりシームレスな自由貿易圏ができたことのメリットは日本にとっては計り知れない。(【図1】と【図2】を参照)


【TPPの利便性、その「しかけ」は原産地規則】

このようなシームレスな生産ネットワークをTPPにおいてさらにメリットのあるものとしているのは何か? その答えは「原産地規則」(rules of origin)でる。とくにTPPの原産地規則は「完全累積」(3・10条)にその特徴がある。これは、(1)他のTPPメンバー国で他の産品の生産に使 用される一または二以上のメンバー国の原産品・原産材料は他のメンバー国の原産品と見なす(モノの累積)、(2)メンバー国での非原産材料による生産は、 その生産が付加価値基準を満たしていなくても産品の原産コンテントに加えられる(生産行為の累積)ことを意味している。このような「寛容な」完全累積原則 の導入により、非TPP参加国を含めアジア太平洋地域に広く生産ネットワークを構築してきた日本の製造業にとっては既存のバリュー・チェーンを活用しやす くなる。
さらに、TPPではすべてのメンバー国を一つの領域と見なし、すべてのメンバー国の領域内を移動する限り原産性を維持することが認められており(3・18条)、第三国経由の場合の立証負担の緩和が図られている。
また、原産地証明の発行手続きも輸出者、生産者、輸入者による「自己証明制度」を採用しており、日本のEPAにおいてこれまで主流だった第三者証明制度に比べて利用者である企業の事務負担が大きく軽減された。
このようなTPPの原産地規則はこれを使用する企業にとって利便性が高まっており、いわゆる「ユーザー・フレンドリー」なものとなっている。
他方では自動車やその部品、繊維・衣類など、よりセンシティブな分野では原産地規則がより細かく規定されていることにも注意すべきだろう。たとえば自動車 の完成車については、控除方式の付加価値基準によるかまたは特定部品7品目の加工工程(14の金属加工)がTPP域内で行なわれれば原産性を付与すること になっている。また自動車部品については、関税番号変更基準と付加価値基準の選択制となっており、特定部品14品目は加工工程(14の金属加工)の一つを TPP域内で行なえば原産性が付与されると規定されている。
 繊維・衣類については衣類(HS61類と同62類)および中古衣類等(同63類)は生地がメンバー国の領域で作られた糸から作られている場合のみ原産品と されるとあり、これはNAFTAにおける「ヤーンフォアード(yarn-forward)」と呼ばれる方式を踏襲している。
原産地規則以外にも投資規定、ビジネス関係者の一時入国、政府調達、国有企業などについても日本企業にとってメリットのある規定が随所に見られるが、紙幅の都合からこれらの論点については稿を改めたい。

著者:慶応義塾大学教授  渡邊頼純 (わたなべ・よりずみ)
元・日本・メキシコEPA首席交渉官。慶應義塾大学総合政策学部教授。上智大学大学院国際関係論専攻博士課程単位取得満期退学。南山大学助教授、大妻女子 大学教授、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部、GATT事務局、欧州連合日本政府代表部、外務省経済局参事官、外務省参与などを経て現職。著書に 『GATT・WTO体制と日本』(北樹出版)、TPP関連では『TPP参加という決断』(ウェッジ)、『TPPと日本の決断』(編著、文眞堂)、『TPP 交渉の論点と日本』(同)などがある。

【参考文献】
渡邊頼純『TPP参加という決断』
ウェッジ、2011年
渡邊頼純『GATT・WTO体制と日本』
北樹出版、2012年
浅川芳裕『TPPで日本は世界一の農業大国になる』
KKベストセラーズ、2012年
石川幸一・馬田啓一・木村福成・渡邊頼純(編著)
『TPPと日本の決断』文眞堂、2013年
石川幸一・馬田啓一・渡邊頼純(編著)
『TPP交渉の論点と日本』文眞堂、2014年
石川幸一・馬田啓一・高橋俊樹(編著)

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