2012年3月16日金曜日

☆ 原発興国論(WiLL4月号より)

 いつも貴重な情報を頂くW氏から,渡部昇一上智大学名誉教授が書かれた表記の記事を頂きました。雑誌「WiLL 平成24年4月号」に掲載されたものです。
  
 この記事は,ホルミシス論(放射線も一定の範囲では人間に良い影響を与えるとする)に立っているものですが,今日本では,LNT理論(閾値無し論:放射線はその量に正比例して害も直線的に増大するとする:文中に解説あり)が,圧倒的にマスコミと世論を支配しています。
   
 私自身は,この問題には素人ですので断定的なことは言えませんが,今まで知り得た情報を総合すると,ホルミシス論に賛同しています。
  
 しかし,この記事はどちらの立場に立つ人にも役に立つと思いましたので,このブログに載せさせて頂くことにしました。
  
 全部で13項から構成されている長い記事ですので,6つに分けて掲載いたいします。その概要を示します。項目名をクリックするとリンク致します。そこからここに戻るには「元に戻る」をクリックして下さい。
  

 この記事について安中氏に意見を求めましたら下記のようなコメントをもらいました。氏は「むつ」の地上施設の設計に携わったそうです。
  
「むつ」と「もんじゅ」の記述に関して意見が異なりますが,それは内容のことなので,先生の主張が的外れだと言うことではありません。概ね妥当な記述であり大筋で共感できます。


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Ⅵ 12.日本近代史とエネルギー 13.明るい未来への道筋


12.日本近代史とエネルギー

 東日本大地震・大津波とそれによっておこされた東電福島第一原発の事故はわが国の大なる災害であり、その被災者には深く同情する。しかしこの大被害も、あえて強弁することを許されるならば、日本の未来に対する進路を示してくれたものだと解釈できるのではないか。
 思えば明治維新以来、日本の歴史に突如、大問題としてあらわれたのはエネルギー源の問題であった。近代国家を造り、かつ栄えるためには、まず化石燃料が必要であった。新しいエネルギーを使うことなくして、「富国強兵」の「富国」はありえない。

 イギリスが世界に先んじて産業革命を起こして世界に覇を唱えることができたのは、石炭の新しい使い方を発見したことと、炭田を国内に持っていたからである。開国した日本には幸いに石炭があり、その新しい利用法を先進国に学び、白人国家以外でははじめて産業革命を成功させ、近代国家への道を進むことができたのであった。
 しかし、その限界が見えはじめたのは日露戦争以後である。日露戦争から十年も経たないうちに勃発した第一次欧州大戦では、エネルギーの主体が石炭から石油に代わってきていることがはっきりしてきた。
 イギリスの海軍大臣チャーチルはフィッシャー提督の献言を入れ、軍艦の燃料を石炭から石油に変える方針を立て、また陸戦では騎兵の代わりに(彼自身は騎兵学校出身だったが)タンク、つまり石油で動く戦車を導入した。空中戦もはじまった。飛行機が石炭で飛ぶわけがなく、全て石油でプロペラは回る。イギリスは中東の石油を手に入れることにした。

エネルギー転換に衝撃
 この歴史的なエネルギー転換で最も恐怖を覚えたのが、日本の軍部でもある。軍艦も戦車も飛行機もすべて石油がなければ動かないのに、日本では石油は出ないに等しい(新潟沖で少し出たが問題にならない)。第一次大戦の観戦に出かけた日本の軍人たちは、陸軍も海軍も今後の戦争で、このままでは日本必敗を確信するに至った。この頭が空の日本の軍部のリーダーたちは、日本必敗の筋道を見て、みんな少し頭がおかしくなったのだ。秋山真之のように本当におかしくなった人もいる。近代戦をやるエネルギー源が日本にはないからだ。
 そのうち、石油を握っているアメリカの大統領に日米開戦必須論者のF・ルーズベルトがなった。そしてついに、アメリカは日本に石油を売らないことになり、その圧力を受けてオランダも蘭印(インドネシア)の石油を売らないと言い出した。

 元来は対米開戦反対論者だったといわれる連合艦隊司令長官・山本五十六が、真珠湾攻撃のための訓練開始を命じたのは、この石油問題が起こってからである。日米開戦を避けるために誕生した東條内閣、対米開戦反対論者が多かったその閣僚たちーこの人たちが一転して開戦に賛成したのは、アメリカとの話し合いにおいて、アメリカ側に譲歩の色がまったく見えず、ぐずぐず交渉を続ければ保有の石油が減り続けていくばかりで、日本の軍艦が動けなくなり、飛行機も飛べなくなることがわかったからである。まことに昭和天皇の戦後のお言葉にもあるように、「かの大戦の近因はアメリカによる石油禁輸であった」のである。
 石炭の時代だったらアメリカと戦争する必要もなく、そんなことを考える日本人もいなかった。まことに二十世紀初頭におけるエネルギー転換のため、日本の歴史は日米開戦になってしまったのである。

 日米開戦が石油問題の突発からはじまったことを示す傍証のようなものを私は体験した。それは、私が中学に入学した昭和18(1943)年の教科書である。英米と戦いをはじめてから一年半近く、イギリス領香港も、シンガポールもラングーンも日本が占領しているのに、英語の教科書にはイギリスの王冠が刷ってあり、内容も平和なものであった。そのほかに学科の教科書もみな戦前と同じであった。
 これは開戦が急であったため、新しい教科書の準備をさせる時間が文部省になかったことを示している。粗末な戦時的教科書が配布されたのは昭和十九年四月、つまり敗戦の一年数力月前である。いかに石油問題の悪化が急に進行したのであるかわかる気がする。
 そして日本は手持ちの石油をほぼ使い果たした頃に、原子爆弾という新しいエネルギーの登場によって止めを刺されたのである。

原発関係者に感謝
 戦後の復興は日本人の努力、頑張り、工夫もさることながら、エネルギーの心配がなくなったことによるものである。中東の油田の産出量はそれまでの常識を超えるものであった。石油の値段は安かった。日本は世界最大のタンカーを造り続けた。民間人も石油ストーブを使えるようになったのである。

 戦争中に「石油の一滴は血の一滴」と言われて育った私は、石油ストーブに石油を入れる時、「信じられない時代が来た」と、うたた今昔の感に堪え難いものがあった。
 ところが、オイルショックがやってきた。産油国が同盟して値上げをしてきたのである。石油輸出国機構が原油の値上げを発表した第二次オイルショックのニカ月後の昭和546月に、東京サミットが開かれた。その時、大平首相が石油輸入問題について努力する姿が痛々しかった。大平さんも、石油のために日本が大戦に突入せざるを得なかった時代を体験した人なのである。

 エネルギー問題は日本の歴史を一転させることができるし、戦後の繁栄をパーにする可能性もあることをよく知っておられたのだ。この一年後に大平さんは急死されたが、それは政局のみならず、石油の問題が心臓に悪かったのではなかったかと私は思っている。
 戦後の高度成長期のように、エネルギーを石油に頼り続けることの危険性は有識者には明白なことであった。最も効率が良いのが原発であることはあきらかであった。

 しかし、原子力船「むつ」を廃船にし、第五福竜丸の死者の原因を核の灰のせいだと虚報を流し続け、反米運動と反核運動が一緒になった左翼と歩調を合わせ続ける雰囲気のなかで、それにもめげずに原発採用に踏み切った自民党内閣や通産省、それに原発の技術を向上させ続けた電力会社の関係者には、頭が下がる思いがする。
 それで日本の歴史は再びエネルギーの問題から開放されたかに思われた。ところがそこに、福島での事故が起こったのだ。それとともに現れた反原発論者の有り様は「古事記」に「之を以って悪神の音、狭蝿姐す皆沸き、萬物の妖悉に発りき」と描写されているような感じである。

 地球温暖化防止のためには、化石燃料より原発がよいという意見が支配的になったため、このところ反原発運動者はおとなしくなっていた感じであった。それが福島の事故を種にして、突如として『古事記』による夏の小蝿のように湧き出てきたのである。最近もピースボートが反原発の集会をやったと報道されたが、彼らの正体はわかっているではないか。

13.明るい未来への道筋
 しかし福島の不幸は、日本にエネルギー問題のあり方と、将来の日本の歴史の進み方を示してくれたものと私は捉える。
 まず、狭蝿なす反原発論者の主張とは反対に、現実は日本の原発の安全度が極めて高いことを世界に示すことになったのだ。日本政府はこれを振りかざして、原発を世界に売ることを国家目標にすべきである。中国やインドのような大人口の国が近代化をやれば、エネルギー問題だけで地球が壊れ、温暖化が進んで太平洋の小島が沈むような事態になるであろう。資源獲得に狂奔するいまの中国の姿を見よ。
 原発は地球を守る力がある。中国は百基単位の原発を造る計画らしいが、それは日本製にしたほうが安心である。ロシアも同じだ。アフリカや東南アジアにも日本の原発が置かれるべきだ。

 曽野綾子さんも言っているように、電気のないところに民主主義はありえない。不潔・不便な生活環境も電気なしでは変えることは不可能である。水洗便所も高層マンションも電気あっての話だ。「光は日本より」がモットーとして掲げられてよい。日本自体の受ける利益も、他国に与える利益に劣らず巨大である。
 よく武器を売った国と買った国の関係は強まるという。当然のことである。エネルギー源を提供する国とされる国との関係も強くなる。しかも平和的に強くなる。日本外交の国際社会における役割も、日本製原発の普及とともに、平和的に増大するであろう。
 さらに経済的にいえば、一件数千億円もの輸出になる。GDPも楽に上がる。それに比例して税収も増加する。増税が不要になるどころか、累積赤字をも消す力があるだろう。

 そんなことよりさらに重要なのは、「もんじゅ」を成功させることである。「もんじゅ」こそは究極の理想的エネルギー源である。私はかつて福田信之先生-筑波大学設立の功労者から直接お聞きした言葉をいまも忘れることができない。
 「渡部君、"もんじゅ"が成功すると、日本は百年、千年単位でエネルギー問題に悩まされなくなるんだよ」と。

 福田先生は、戦時中は仁科研究室で原爆の研究をなさっていた人である。ビジョンのある人だった。筑波大学ができたのちに、イギリスのサッチャー首相が「日本恐るべし」というような発言をしたが、それは筑波大学の構想を知ったときである。残念ながら、「もんじゅ」はナトリウムが管に付着したとかいう故障のため止められた。唐津一氏は私に、「原発のことになるとマスコミは故障も事故と騒ぐので困る」と言われたことがある。同じようなことはのちにも起こった。原発の故障をいちいち事故だと大騒ぎし、そのたびに何ヵ月も何年も停止していては、計画は進まない。

日本の救世主
 「もんじゅ」は、日本が国家的目標の第一として揚げるべきものなのである。「はやぶさ」もすごい。スーパーコンピューターもすごい。そのなかでも「もんじゅ」が成功すれば、それはケタの違った大きな成功なのである。日本だけでなく、世界が大歓迎するであろう。
 日本が最初は原発の輸出からはじめて、そのうち「もんじゅ」の輸出になれば、地球万歳ということになるのだ。そしてそのことは明治開国以来、日本の最大の問題、そして大戦開始という残念な事態と、原爆による終戦という悲劇の原因となったエネルギー問題から半永久的に日本を解放してくれるのである。

 それでも原発反対の人たちは耳を傾けないだろう。卵を食わされたウサギのコレステロール神話がまだ通用しているのだから。しかし、非常に簡単な例を挙げるべきであろう。
あのチェルノブイリの原発事故,本物の暴走だったですらも、直後に火災と思って飛び込んだ消防士を含めても、死者は百人にもなっていないこと。福島の事故でも放射線による死者はゼロであること。
 これに反して、福島の事故で胆を潰して脱原発を決めたドイツでは、チェルノブイリのあと、いままで自動車事故で約20万人以上が死んでいる。日本でも福島の事故のあとで自動車事故死者の数は数千人である。福島の原発では死者ゼロであるが、数日間の大雪での死者は50人を超えた。福島の「汚染」した表土除去よりも、除雪のほうが人命への問題としてはずっと大きかった。

 原発事故より数千倍、数万倍も死者を出す自動車には脱自動車運動はほとんど聞かれないのに、自動車事故死に比べれば死者は零に近いと考えてもよいくらいの原発には病的な脱原発運動が燃え上がるのはなぜか。毎年、確実に死者の出る除雪になぜ、人権運動家たちは燃え上がらないか。それは元来が、昔はソ連・中国、いまは韓国がらみの反核イデオロギー運動であったから、反核運動家たちは事実にはいっさい目を向けず、嘘を造り上げて先導してきたからである。

 日本の政府、地方自治体、電力会社は、こういうイデオローグたちに操られた動きには毅然として対応し、真実を自信を持って国民に説き続け、国策としては原発の輸出、さらに大目標として「もんじゅ」の完成ということを国民に示していただきたいものである。


                            終り
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Ⅴ 10.代替エネルギー論の怪しさ 11.「どっかの手先」の人たち


10.代替エネルギー論の怪しさ

 原発問題の最中に、菅首相が急に元気になったことがあった。それは孫正義氏が多額の献金の意思のあることを発表し、津波で家が流された地域に太陽光発電を進めるアイディアを持ってきた時だった。その孫氏は、自分の企業で一番電気を食う部分を韓国に移したと指摘されている。自然界のエネルギーの活用自体は結構なことであるが、あまりそれを強調する人は、日本の脱原発を狙う韓国政府の手先になっている可能性があるといってもいいだろう。

 太陽光発電はよく言われているが、原発にすぐにでも代替できると考えている人は、全くの無知の人か韓国の手先か、手先の手先ぐらいの人でないかと私は考えてしまう。
 たとえば、リニア・モーターは宮崎県で最初に走っていた(いまは山梨県)。その軌道は当然、細く、かつ長い。それが不要になった跡地に太陽光発電のパネルを並べるのは優れたアイデアのごとく思われた。しかし実際やってみると、ひとたび火山噴火があったあとは、その火山灰がくっついてダメになった。火山灰をきれいにする労力や費用は電気代どころではないのだ。いわんや、津波の跡地にパネルを並べることは、被災者たちから郷里を奪うことにもなるのである。

 自然のエネルギーを使うアイデアは文句なく良いようだが、マイナス面も大きい。太陽光発電パネルで山手線の内側の二倍の広さの所を埋めても、発電量は浜岡原発の一基分くらいだそうである。しかも不安定だ。台風が来たらどうする。大地震が起こったらどうする。第一、そんな広い場所が日本のどこにあるのか。静岡の茶畑を全部潰す気か。
 それが使えなくなった時の廃材はどう処理するか。それを並べた下には植物は育たないであろう。そんな荒れ地をどうするのか、などなど、実に問題が大きいのだ。アメリヵの太陽光のパネル会社は潰れたし、アメリカは原発再開を決めた。わかりきった話ではないか。その他の代わりのものも、全て原発に代わりうるものでないことは、ここで繰り返す必要はないであろう。

忍び寄る産業空洞化
 いまのところ原発に代わりうるものは、火力発電だけだ。しかし、火力発電には化石燃料である石油か石炭、あるいは天然ガスが必要である。いずれも日本で産出しないものだ。それに石油を焚けば地球温暖化に連なるとされる。いずれにせよ、火力発電はものすごい外貨の消費になるのだ。

 東京電力が平均17パーセントの電気量の値上げを言い出したのも、火力発電のための燃料代が何千億円と急増したためである。他の電力会社もそれと同じことを言い出すに違いない。年間何兆円ものお金が燃料代に消えるのだ。そうしたらどうなるか。
 消費者は節電したり、貯金をはたいたりすることになる。これは各人が我慢すればよい。しかし、日本の産業はどうなる。いまでも、日本の電気料金は韓国やアメリカに比べて著しく高いのだ。高い電気料金のために、日本ではアルミの精錬をやめたという過去もある。いまより電気料金が高ければ、日本の多くの工場は潰れるか、海外に出るかになる。つまり空洞化だ。
 産業の空洞化は、とりもなおさず失業率の上昇と国力の低下である。日本の中小企業などがバタバタ潰れたら喜ぶのはどこの国か。言わなくてもわかるではないか。

11.「どっかの手先」の人たち
 敗戦後の日本人男子はだらしなくなったといわれる。なにしろ、200万人以上の最も身体能力に勝れ気迫も忍耐力もある青年が戦死したあとだから仕方がないとも言える。
 しかし、そこで生き残った人たちは「死んだ者の分まで頑張ろう」と言って、国土復興と経済再建を成し遂げた。戦後の日本から出た新技術・新製品も実に多かった。
 しかしその一方、常に「栄えゆく日本」を呪誼し、その足を引っ張る言動や運動をしてきた勢力があった。それは、日本が独立回復を成し遂げたサンフランシスコ講和条約に反対した共産党や社会党の系統の人たちと、全面講和という美辞のもとに日本の独立回復に反対した学者とその系統の人たちである。

 東日本大震災の時の日本政府の中心にいた人たちの多くは、その系統の人たちであった。菅総理も学生運動ではゲバ棒組であり、「産学協同反対」の運動をしていた。これは産業界に大学、つまり学者は協力してはいけないということで、資本主義日本の産業の弱体化と日本の窮乏化を目指した運動であった。この人たちは本能的に日本に害をなすことに熱心のように見える。そしてその背後には、いつでも隣国の手がチラチラ見え隠れする気がする。

 まだ吉田茂が総理だった昭和293月にビキニ環礁で行ったアメリカの水爆実験で、第五福竜丸が被災した。この船長さんは知ってのうえで禁止海域の境界に近づき、核の灰をかぶった。乗組員全員28人がべータ線熱傷を受けた状態で母港の焼津に戻り、肝炎ウィルスに汚染した買血輸血の治療を受け、17人が肝臓障害を起こし、そのうちの一人、無線長の久保山愛吉さんが亡くなった。
 その死因は肺炎であり、放射能でなかったことを高田純博士が検証している(同氏『上掲書』16ぺージ)。しかし、世は原水禁運動・反核運動花盛りの時である。この人たちのなかには、社会主義国(ソ連や中国)の核爆弾はきれいだが、アメリカのは悪いというようなトンチキな人たちもいたほど反米親共であった。

「むつ」の最期
 これにマスコミは乗っかっていた。それで、久保山さんは買血による肝炎という本当の死因は隠されて、核爆弾の放射線によるものとされ、反米運動のシンボルにされてしまった。久保山さんは静岡漁民葬になり、木下航二作曲の「原爆許すまじ」のコーラスで送られた。日教組はこれを反原発・放射能恐怖・反米という三位一体の教育方針に利用した。その時の子供たちはいまや大人になつて、福島の放射線に神経症的反応を示しているのである。

 当時の騒ぎは大したもので、マグロ(第五福竜丸はマグロ漁船)も食べてはいけないというような話だった。その時、故・桶谷繁雄先生が「なんでもないよ、私は食べる」と発言されたのが印象に残っている。この人は、毛沢東思想で中国は農家の庭でも鋼鉄を作っていると社会党の訪中団が毛沢東革命礼賛をやった時、「ああいう鉄をわれわれは鋼鉄と言わないのである」とばっさりやっておられた。
 桶谷先生のような方は稀で、世論は滔々として放射線恐怖を煽るほうに流れた。マスコミは反米、反自民を反核と一緒にした(といっても、ソ連や中国の核開発への反対運動があったという記憶がない)、その煽りをくらって悲しい最期を遂げたのが原子力船「むつ」であった。

 この船は昭和44(1969)年、佐藤栄作内閣の時に東京湾で進水し、青森県大湊を母港にしていたが、五年後に北太平洋で放射線漏れを起こした。それはレントゲン一回分にもならないほどのものだったらしいが、マスコミが騒ぎたて、寄港できなくなった。
 ある社会党の代議士などは、「放射能がだんだんたまっていって、しまいに爆発して、そこらの村民漁民はみんな死んじゃうぞ」と言った。放射能と放射線の区別もしない乱暴な話だったのだが、それが通用したのだから恐ろしい。
 それで、時の田中角栄内閣の自民党総務会長・鈴木善幸が、陸奥湾の帆立貝漁へ被害がないのに補償金を払って帰港させてもらったが、二年半以後は大湊を母港にしないという約束までさせられた。

 被害がないのに補償金をもらうという発想も情けないが、そこまで核アレルギーを日本人に起こさせた左翼的マスコミと反核運動者たちのほうが怖ろしい。これで、日本では原子力船は作れなくなってしまった。原子力船「むつ」が運航され続け、実験を繰り返せば、いまごろは日本にも原子力潜水艦もできていたであろう。これほどわかりやすい国防手段・対中抑止手段もなかったと思われるのだが。
 日本の「むつ」を葬ったマスコミや反核団体は、中国の核実験、核爆弾に反対する運動を起こしたというのは聞いたことがない。
今回の福島の原発事故にはじまつた反原発運動には、目立ったデモのほかに、日本の弱体化や窮乏化を願うようなソフトな言論がマスコミで流されていることに注目すべきである。

 そのことには筑波大学の古田博司氏も気がついて、雑誌『歴史通』の昨年九月号に注目すべきエッセイを寄せておられる。そこからすこし拾ってみよう。引用のあとのカッコは、それを掲載した新聞名である。
 作家の袈乙彦氏は言う。
 「日本はおそらく中国に負けて世界第三の国になり、更に落ちていくでしょう。しかし、そのことで日本人が不幸になると考えるのがおかしい。これが日本を不幸にしている一番の大きな原因です」(毎日)

 国が落ちぶれても国民は不幸になると考えてはいけないという珍説だ。加賀氏はたしか精神科の医師でもあるはずだが、気はたしかだろうか。中国もかつては落ちぶれ、「シナ人」は世界中でゴミのように扱われたのだ。だから彼らは必死に核兵器を作り、原子力潜水艦を作り、航空母艦まで持とうとしているのではないか。しかし、加賀氏は中国に向かって「国が落ちぶれていっても心配することはない。それがよいのです」などと絶対にいわないのである。

「成熟」ではない
 早稲田大学教授の天児慧氏は言う。
 「日本が経済成長で再び中国と張り合おうとしても不可能で、環境や社会保障など生活インフラの豊かな成熟大国を目指すべきだ」(毎日)
 経済的成長は諦めて、環境を良くし、社会保障を充実させた成熟大国にどうしてなれるのか。日本はいまのところ、エネルギーも食糧も大量に買っている。私は五十年も前にイギリスに留学し、それからも何度も訪ねている。昔は一ポンド千円以上だったのに、いまは百数十円だ。それとともに窮乏し、本屋も万引きを心配する国になるのを見てきた。経済力を落としながらの成熟大国などないのだ。あるとすれば、末期の清朝か。そういうのは「停滞」とか「衰退」とか言って、「成熟」とは言わないのである。

 また、大阪大学名誉教授の川北稔氏は言う。
 「……たしかに日本は、かつてのポルトガルのようになるかもしれません。ただし、それが不幸かと言うと、話は別です。現在のポルトガルを見てください。むしろ、ある意味で安定し、人々は幸せな人生を送っているのではないでしょうか」(朝日)
 ギリシャに続いてポルトガルは経済破綻に直面している。若者の失業率が五〇パーセントを超えているといわれる国のどこが安定して、国民が幸せな人生を送っていると言えるのか。もうこうなると妄言をバラまく詐欺師紛いの言説だ。

 古田氏が拾い集めた妄言はまだまだあるのだが、それらの言説を通じて感じられることは、日本が落ちぶれダメになることを望んでいる日本の「文化人」が少なくないことだ。こういう妄言を喜んで掲載する新聞が「朝日」や「毎日」であることも知っておいてよいであろう。この人たちの現在の共通点は、反原発ということだ。逆にいえば、「反原発」の反対は日本の「繁栄」だということをも示していて面白い。

 個人が貧乏が平気だというのは一向に構わない。西行も芭蕉も極貧と言ってよい。金持ちになったらかえって不幸になったという婦人の話もよく聞く。個人が自分の哲学で窮乏を幸福とみなすならば、私はむしろ尊敬する。神父や修道女のなかにもそういう人がたくさんいることを知っているからだ。
 しかし、一国の政治家や大マスコミが、自国の窮乏化を幸福への道だと国民に押し付けるのは許せない。政治家もマスコミも、本来は自国の富裕化を願い、そこに向かう道を示すべきなのである。そうでなかったら、「日本悪しかれ」を願っている国の手先か、手先の手先になっていると考えざるを得ないのである。

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Ⅳ 7.風評被害の原因 8.「汚染」は利用できる 9.菅首相の意義

7.風評被害の原因

 これは、行政の犯罪的に無知な対策によるものである。広島・長崎の原爆炸裂のあった「昭和20年にセシウムで死んだ人は一人もいない」と、核被曝の研究の第一人者の高田純博士は断言している。
 高田博士によれば、大地震が到達する前に福島第一原発では核分裂連鎖反応が自動停止したので原子炉の暴走はなく、したがって急性放射線障害になった職員はなく、当然、その原因で亡くなった職員もいなかった。暴走したのは原子炉ではなく、政治暴走した菅直人首相だったのだ。

 彼は官僚機構を使いこなせなかったから、日本の放射線防護力、緊急被曝医療体制を使いこなせなかった。それどころか、素人判断で国内外の風評被害の原因となる話題をまき散らして、福島県民を苦しめ、国民の不安を煽ったのである。
 日本は原爆の被害国ということもあって放射線防護学のレベルが高いのに、菅政権はそれに頼らずICRP2007年勧告を用いているのである。「国際的」といっても、低線量放射線の人体への影響についての科学的な根拠はないことをわれわれは知らなければならない。では、どういうふうにICRPはつくられているのか。

LNTという"ドグマ"
 広島・長崎の原爆被爆者の調査によると、被爆後のガン発生率は、500ミリシーベルト以上の被曝をした場合は、その被曝量に比例してガンの発生率が増加することが分かっている。しかし、200ミリシーベルト以下ではガンの発生率の増加は認められないどころか、むしろ一般の人より発生率が下っているのだ。それは、前に述べた「量の変化は質の変化になる」ということの顕著な例である。

 しかしICRPは、500ミリシーベルト以上の被曝量の場合の増加線を、それ以下の被曝量の場合にそのまま延長線を引いて「低線量の被曝でもガンは増加する」としたのである。この仮説ー実験を伴っていないので非科学的独断とかドグマと言うべきだ一をLNT(Liniar No Threshold)という。
 リニアーとは「直線的」ということで、500ミリシーベルト以上に認められたガン発生率の線をまっすぐに低線量のところまで引いているということで、スレショルド(閾値:イキチ)を認めない(No)ということである。

 放射線はある数値以上はガンを発生させるが、ある数値以下ではガンを減少させる。では、その逆転する数値はどこらあたりか、というのが閾値である。おそらく、500ミリシーベルトと200ミリシーベルトの問にあるらしい。その閾値以下の被曝の場合はDNA修復酵素が活性化するため、ガンの発生率は下がるという、大量被曝の場合とは反対の現象が見られるのである。
 このLNTは、DNA修復酵素の欠如しているショウジョウバエには適用されるのだが、人間には絶対に適用してはいけない非科学的なドグマなのである。

 わかり易い譬えを挙げてみょう。ある果物をハウスで育てたとする。その果物はハウスの温度が30度以上だと枯れはじめ、60度、70度にするとどんどん枯れる。その温度の高さと枯れる度合いをグラフの線にして、今度は下げたらどうなるか、ということを実験もせずに線を下に延ばしたらバカだといわれるだろう。その果物は二五度ぐらいならよく育ち、おいしい味になるということもあるからだ。

 そして、温度がゼロになったらその果物は生育しない。この温度というところに放射線という単語を入れてみれば、閾値の意味もわかるし、放射線をゼロにすると大麦が成育しないのも同じことだとわかるだろう。量と質の関係は、実験データに基づき、閾値を発見して見極めなければならないのだ。

 フランス・アカデミーのモーリス・チュビアーナ博士という放射線ガンの世界的権威がEUの科学者とともに研究してきて、2001年のダブリンで開かれた国際学会で、毎時10ミリシーベルト以下なら、どんなに細胞に傷がついても完全に修復させてしまうと発表した。いわゆる「ダブリン宣言」と言われているものだが、彼に対しては2007年にマリー・キューリー賞が与えられている。

 ところが、日本政府の方針では年間20ミリシーベルトとか、年間10ミリシーベルト以下のところの土壌まで上層部をはがすなどということをやっている。
 行政がICRPに従うのは、この委員会の頭に「国際」という字が付いているからだろう。そこの数値が何らかの科学的根拠のないLNTドグマでも、「国際」の名のついたところの数値を使っておれば、行政は「責任逃れ」ができるからであろう。そのためにどれだけ福島県民が迷惑し、また天文学的な費用を全く無駄なことに掛けることに平然としているのだ。

8.「汚染」は利用できる

 「いま福島で起こっている問題は被曝自体ではなく、被曝への恐怖である」これは『放射能と理性』の著者であるウェード・アリソン・オックスフード大学名誉教授が講演で述べた言葉である。アリソン博士はICRPの被曝に対する勧告は根拠がないから改めるべきだとし、福島第一原発周辺で住民を強制的に避難させて不自由な生活を強要したり、土壌をはいで除染することも愚の骨頂だと断言している。
 考えてみれば、広島や長崎では原子爆弾が実際に炸裂したのであり、土壌が受けた放射線の量も、福島とは比較に絶して巨大であった。広島や長崎で除染はやったか。もちろん、やらなかった。その後の住民の健康調査では、他の日本人の平均よりも、良好な数字が出されている。そして広島も長崎も、前よりもずっと発展した都市になっていることは誰でも知っている。この誰でも知っていることをなぜ福島では無視し、理由のない被害を福島の人たちは受けなければならないのか。理由は簡単,政府が悪かったからである。

9.菅首相の意義

 なぜ当時の首相・菅直人は突然、浜岡原発を停止せしめ、日本が脱原発に向かうような発言をしたのか。
 それは元来、彼は日本という国を愛さぬ、国境抜きの市民運動家だったからであろう。彼は元来、反原発をやってきている人とつながっていたようだ。彼も政府に入ってみれば、日本の電力の三割以上も担っている原発を無視するわけにもいかず、さらにそれが当代流行の二酸化炭素削減にもなるというので、「将来は原発への依存度を50パーセントぐらいにしたい」などと言っていたのだと思う。

 ところが、福島の原発事故で周章狼狽したところに、昔ながらの反原発論者に東海大地震の可能性を告げられるや、一挙に本家還りしてしまって、浜岡原発の停止を言い出し、さらに脱原発まで口にしたものと思う。彼は福島の原発事故の本質も知らず、日本の進んでいる放射線防護学の成果を利用することもできなかったのである。
 菅氏はそもそも、東海地震予測なるものの実態を知っていたのか。あの話のそもそものはじまりは、当時、東大地震研の助手だった石橋克彦氏が昭和51(1976)年に予言したものである。それから30数年経つが、彼の予言した東海地方の大地震は起こらず、彼の予知にはなかった阪神・淡路大震災が起こり、今回は東日本大震災が起こっているのだから、彼は全く当たらない予言者なのである。

 この日本列島について地震予言をすれば、誰の予言だっていつかは当たるだろう。地震学者の予知は、素人の心配といまのところ本質的に差はないのである。だから、「東海地震がすぐ来るかもしれない」などと言わたれて(菅総理にそう焚きつけたのは福島瑞穂氏だという説がある)、慌てて浜岡原発を止める必要など少しもなかったのだ。
 福島の東電第一原発でも、地震ではなく津波が原因とされているのだから、津波への対策強化と、さらなる原発の安全強化の指示で十分だったのである。菅氏は脱原発を口にすることが、日本にいかに巨大な害をなすか考えたことがあるのだろうか。これからは脱原発だ」ということが国策になれば、先ず核の研究をしようとする学者はがっくりし、この方面に進もうとする青年もいなくなるであろう。物理学の最も重要な分野に研究者が後続しなくなったら、日本の将来はどうなるか。

 それより前に、世界で最も進んでいるとされる日本の原発の学者・技術者は、底引網を仕掛けられたように韓国や中国に持っていかれる可能性が高いのである。菅氏はコリアの団体に特別の関係を持っていて、日本人よりコリア人のほうが大切だという印象さえ与えている人である。その人がすぐに原発停止・脱原発の方向に飛びついたのは、少なくとも彼の潜在意識のなかで、それがコリア人のためになるというひらめきがあったのではないか。
 
韓国を利することに
 果然、その後の新聞報道によれば、韓国の原子力安全委員会は、福島の事故のあった去年のうちに日本海側の慶尚北道に原子力発電所二基の建設を決め、また南部と東南部に建設された二基の試運転をはじめさせた。韓国では現在二十一基の原発が稼働中である。韓国政府は、これから原発八十基を輸出するのを国家目標としているのだ。
 一基の建設は数千億円の話だ。それを八十基も輸出しようという韓国政府の意気込みはすごいではないか。

 この韓国の国家的大目標にとって一番邪魔になるのは何か。それは日本の原発である。日本の原発技術が世界で最も進んでいることは、世界中が知っているのだ。
 福島での事故も地震のせいでなかったことは世界中の専門家が知っている。大地震のS波が到達する前の小さな波動をとらえて原子炉の核分裂連鎖反応を自動的に停止させるというのは、地震国・日本の独自の技術である。だから、福島第一原発でも原子炉の暴走はなかった。震源地にもっと近かった女川でも暴走はなかった。かつての中越地震でもなかった。
 今回の福島の事故も、原子炉の安全性では世界の評価を高めているのだ。津波は「想定外」とされたが、それを防ぐ手段は難しいものではないことも明らかになった(女川の原発がすでに証明している)。具体的な例をあげれば、福島第一原発事故があってから間もない去年のうちに、アメリカは実に34年ぶりに原発を着工することにし、東芝の子会社製のものがつかわれる。

 一九七九年のスリーマイル・アイランド原発事故以降、原発の新規着工は凍結されていたのである。それが今回、再開されるようになったのは、日本の技術と機械を使えば、マグニチュード9.0の大地震にも大丈夫だという信頼感が生じたからだと考えてよいだろう。
 日立製作所も同じ頃に、リトアニア政府と仮合意を締結した。三菱重工業はベトナムに二基発注が内定しており、ヨルダンでもその話がすすめられている。今年になって、トルコを訪ねた玄葉外相には、原発の話が出された。彼が十分明確な答えをしないうちに、韓国の大統領が直接乗り出して、トルコヘの原発輸出の話をすすめている。

 原子力発電の世界では、日本の東芝・日立・三菱という三社か、その協力を得なければ新しいものはできないということになっていたのだ。
 原発80基輸出を国家目標に掲げている韓国としては、その原発大国.日本の足を引っ張り、邪魔しなければならない。韓国にとって幸いなことには、福島の事故の時は日本の政党は民主党、首相は菅直人。原発反対の下地のある連中が政権の中枢にいた。これに働きかければよい。こうして働きかけたら即効があった、と私は見る。

売国奴のデマゴーグ
 朝日新聞はじめ、テレビ局などそもそも反日親韓の傾向の見えるマスコミは、一斉に反原発運動に競い立った。大江健三郎氏も気負い立った。大江氏は、「北朝鮮の青年の目は澄んでいた、日本の自衛隊に入る青年のいることを恥じる」というような趣旨の反日侮日、親朝親韓の言論活動をしてきた人である。「いまこそ日本の原発を壊せ」と声を高めてアジり、デモをやらせた。

 ミステリー小説の犯罪を解く鍵に、「それで誰が得をするかを見よ」というのがあるそうだ。日本の反原発運動を誰が一番喜ぶか。韓国政府であり、韓国人であろう。だから、いまの日本で反原発運動をやっている人たちには韓国の手が回っているか、そういう手が回っている人の手が回っているか、あるいは放射線に関する科学的情報を知らされないまま売国奴みたいなデマゴーグに煽られている心配性の善男善女か、あるいは、ともかくマスコミに叩かれたくないという行政関係者か、のいずれかと考えてよいであろう。

 元首相の菅氏、現政権の野田氏、元外相の前原氏などなど、韓国系・北朝鮮系との金の授受があった人たちが民主党には多い。それもそうだと思われるのは、民主党が大勝したこの前の選挙にはコリアの団体が積極的に参加したし、党内の選挙にも参加していた。この原発問題では、これを利用して日本に原発を断念するような政策を行い、その運動を助けるような趣旨の金が動いたと考えることが許されるのではないか。
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Ⅲ 5.どうしてこんな誤解が・・6.マラーの実験の致命的欠陥

5.どうしてこんな誤解が ノーベル賞の罪

 「卵を食べると血中コレステロール値が上がるから、卵は控えなさい」と言われたことのある人は多いだろう。そこで問題になるのは、そういう結論を最初に出したのは誰か、またその実験はどのようになされたのか、ということである。
 そういう疑問を最初に出したのは、分子栄養学の開祖と言われる三石厳博士である。三石先生によれば、その研究をやったのはロシアの医学者アニチコフである。彼は1908(明治41)年頃に、ウサギに卵や牛乳を食べさせたり飲ませたりしたのである。そうしたら、血中のコレステロール値が高くなった。

 それで医者の先生たちは、「卵のようなコレステロールを含む食品を食べると血中コレステロールが上がるから、卵を食べてはいけない」というようになった。つまり、「コレステロール神話」は明治41年頃に卵を食べさせられたウサギに起源があるというのである。
 もちろん、ウサギは草食性動物で、卵も食べないし牛乳も飲まない動物である。つまり、コレステロールを含む餌は食べない動物なのである。アニチコフはウサギでなく、パブロフのように犬で実験すべきだったのだ。
 
 この「コレステロール神話」で迷惑している鶏卵業者は、有志を募って毎日10個ずつ卵を食べてみた。しかし、コレステロール値に有意の上昇はなかった。しかし、鶏卵組合の人たちは素人集団だからというわけで、今度は国立栄養研究所で同じ実験の追試をやった。
 しかし、結果は鶏卵業者たちのものと同じだった。ここから空恐ろしいことが浮き出てくる。卵は相変わらず医者たちに嫌われているのだ。患者の食膳に卵がついているのを見て、栄養士に激怒した医者の話もある。「卵を食べさせられたウサギ」の神話は、医学界でもう百年以上も続いているのである。

 私は15年ぐらい前に三石先生の本を読んで、毎日卵を食べるように心がけ、家内にもそれをすすめている。私は81歳、家内は76歳だが、今年受けた血液検査でもコレステロール値は正常値の範囲内である。三石先生の本『1901年生まれ、92歳、ボクは現役』(経済界、1993年)および『医者いらず、老い知らず』(PHP研究所、1995年)は正しかったのだ。
 そして驚くべきこと、また恐るべきことは、放射線の危険説が「ウサギと卵」の神話と完全に同じ構造をしているのである。まず、放射線が生体に有害であるという実験は、いつ、誰によって、どのようにしてなされたかを見てみよう。

「いけない点」とは
 いまから80年以上も昔、私が生まれる3年前の1927(昭和2)年に、ニューヨーク生まれでコロンビア大学で学んだアメリカ人の遺伝学者、ハーマン・G・マラーが、フート・フライと呼ばれる昆虫、日本語ではミバエとかショウジョウバエ(学名・Drosophiria melanogaster)と呼ばれるハエを使って、動物の変異の問題の研究をしていた。

 当時は生物進化の理論をめぐって、体細胞の遺伝はあるのか否かなど、アウグスト・ヴァイスマンなどが出て活発な議論が起こっていたのである。マラーはショウジョウバエのオスの生殖細胞にX線を当てることによって変異、つまり奇形が生ずること、そしてそれには遺伝性があることを確認することに成功したという論文を発表した。
 これは、ラマルク系統の主張である体細胞起源(somatic influence)の変異説を葬り去ることに連なる重要な発見であった。彼の「X線の遺伝形質上の効果(Heredity effects of Xray)に関する論文には、その年のアメリカ高等科学学会賞が与えられた。

 この彼の研究は、進化論論争関係の研究としては極めて重要なものであり、学会賞に値するものであった。しかし、それによってラマルク系統の進化論者たちが降参したわけではない。むしろ今日では、ラマルク再評価論が有力である(たとえば日本では西原克成博士)。だからこのままなら、マラーの名も、一人の重要な進化論関係論争の学者として残っただけであろう。

 ところが、思いがけないことが彼の論文の18年後に起こった。広島と長崎の原爆である。世界中の人が核爆弾は人類の滅亡につながるのではないかと恐れた。そして放射線が人体に及ぼす影響、特に遺伝子に及ぼす影響におびえた。そこで浮上したのがマラーの論文である。遺伝子に放射線が当たれば奇形児ができるだろうという恐れである。
 マラーの実験結果は、彼の名を知らぬ一般人にも知られるようになったし、学会でも新しい注目が向けられ、マラーの研究にノーベル生理学・医学賞が与えられた。日本の空で2つの原爆が炸裂した翌年、昭和21(1946)年のことであった。

 マラーは時の人となった。しかも、彼は政治的なことにも積極的に発言するタイプの人であった。核戦争や核実験から出る放射線は、長期にわたって人類に危険なものになると主張してやまなかった。その時点において、彼の信念は正当であり、主張は良心的であった。彼の実験にごまかしはなかったし、結果は嘘でなかった。
 その点、ウサギに卵を食べさせたアニチコフも、データをごまかしたわけでない点では同じである。 アニチコフの「いけない点」は、卵を食べないウサギに卵を食べさせたことである。では、マラーの「いけない点」は何であったのか。

6.マラーの実験の致命的欠陥

 それはマラーの責任ではないのだが、ショウジョウバエのオスを実験対象にしたことなのである。なぜ、マラーはショウジョウバエのオスを実験に選んだのか。それは彼の責任ではない。当時はまだDNAの研究がそれほど進んでいなかったのである。当時もヴァイスマンの研究からその方向への研究の流れがはじまっていたのであるが、その研究が飛躍的に進むのは、JD・ウォトソンとF・クリックがDNAの分子構造や遺伝の仕組みを1958(昭和33)年に明らかにしてからである。二人には1962(昭和37)年にノーベル生理学・医学賞が与えられた。そして、遺伝の仕組みもどんどん明らかにされてきている。

 その後の研究で、現在の日本人に最も関係のある発見は、DNAが絶えず傷つけられていること、そしてその傷がガンなどの原因になることである。特に活性酸素や自然に存在する放射線などにより、人体では一日に百万回くらいDNAに傷がつくという。
 それなら人体はたちまちガンだらけ、病気だらけになるはずである。しかしならない。というのは、人体にはDNAの損傷を修復する酵素があるからである。修復し損ねたところがガンなどになるわけだが、通常はすべて修復されるので、われわれは無事に生きているわけだ。 ところが、例外的にDNAに修復酵素を欠く動物がある。それがマラーが実験に使ったショウジョウバエのオスの精子だったのだ。

 しかし、DNAに与えられた傷を修復する酵素は、低線量の放射線被曝によって活性化するというのだ。これはラジウム温泉の説明にもなり得るし、宇宙飛行士が毎時0.045ミリシーベルト、すなわち半年で180ミリシーベルトの放射線を浴びながらも、帰還後に検査すると内臓の状態を示す数値はむしろより良くなっているデータの説明にもなる。女性の宇宙飛行士も、帰還後に子供を産んでも奇形児が生まれたケースがないことにも納得できる。


放射能ヒステリー
 この妊娠と子供に対する被曝の問題は、特に重要である。マラーのシヨウジョウバエの奇形の写真の与えた印象は痛烈であったから、放射線ヒステリー現象ともいうべきものが起こり、広島や長崎の被爆者のなかには、健康体であるのに結婚に差し支えがあるのではないか、と被爆の事実を隠したり、また奇形児の生まれることを恐れて出産を断念した例もあったという。

 しかし、半世紀に及ぶ研究の結果は、被爆者の両親から生まれた子供に遺伝子異常のある子供は一人もいないのだ。マラーの実験からできたモンスター・ショウジョウバエのようなものは、人間にはできなかったのである。人間のDNAにはショウジョウバエのオスの精子にはない修復酵素があり、それは低線量の放射線によって活性化されるからである。
 ラッキー博士の研究によれば、先天性欠陥、死産、白血病、ガン、子孫の死亡率、男女の出生比率、発達度合い、遺伝子異常、突然変異など、長期にわたる研究で統計的におかしい点は、被爆者たちになかった(ラッキー・茂木『上掲書』七一ぺージ)

 それどころか、広島にある放射線影響研究所のデータによると、低線量放射線を浴びた胎児のほうが、死産、先天性異常、新生児死亡の比率が低いというのだ。このような研究は、それに協力してくれた被爆者たちとその子供たちを安心させてくれるはずだ。この人たちは、ショウジョウバエのオスの研究のおかげで長い間、放射線の遺伝子異常のリスクの風評被害を受けてきたのである。

 マラーの研究の風評被害(?)は福島の事故のあと、病的なレベルに達した。世田谷区のある家の近くで放射線が発見されたというので、学童の通学の道路の変更までされた。ところが、その障害はある民家の床下に埋められていたラジウムであることがわかった。その家の人は何も知らずに50年もそこに住んでいるが、その人は現在92歳でお元気だそうである。
 札幌医大の高田純教授によると、その方の年間被曝推定線量は90180ミリシーベルトになるという。「放射線はすべて有害」という先入観が強いために、「放射線の良好な効果」と解釈すべきところを、「不気味な」現象として報じている例を紹介してみよう。それは『週刊文春』20111229日号(28ぺージ)の記事である。

 そのタイトルは「放射能汚染福島で不気味な植物巨大化進行中」としてある。あたかも、マラーの実験でモンスター・ショウジョウバエが出てきたような表現だ。しかし、記事内容はどうか。福島で20年前からシャコバサボテンを育てている女性の話だ。このサボテンは老齢のためかここ数年、花も咲かなくなり、一昨年の夏から茎がボロボロになったので、捨てるしかないとあきらめていたところ、原発事故が起きた。そうしたら、ペラペラだった葉は肉厚になり、みるみる茎が太くなり、数年ぶりでつぼみをつけたが、こんな大きなつぼみは見たことがないという。サボテンだけでなく、自宅の庭に植えられた草花はどれも「いままで見たことないくらい」よく育ち、バラも例年の倍も花を咲かせたという。

 同じく、福島市に住む女性もこういっていたと言う。
 「今年は本当にすごかったよ。家庭菜園で育てているハーブなんて、普通は20センチくらいしか伸びないのに、今年は夏頃からニョキニョキ育って垣根を越えたんだから。トマトや茗荷もまるまる大きくなってよ、味もそりゃよかった。庭いじりやってる友達もみーんな『今年(2011)はすごい』と言っている……」

 人間や動物でなくても、放射線を断絶したところでは生育力がゼロになる海藻や大麦があることが知られている。ラジウム温泉が人間の健康に良いように、放射線は光や温度のように、植物の生育に必須なのである。福島の家庭菜園をやっている人たちはそれを体験したわけだ。去年は福島では米も野菜もできがよかった。けれどもほとんどが出荷停止で、基準値を下回ったものでも全ぐ売れないそうである。

 福島の昨年の梨は一回りもふた回りも大きく、林檎も特に甘いけれども全く売れないそうである。私もよく行く天婦羅屋でタラの木の芽を食べた。独特の苦みがあってバカにおいしい。「どこの産のものですか」と聞いたら、主人は声をひそめて「福島です」と言って、「大きな声でそう言わないでくださいよ、他のお客さんが嫌がるから」とつけ加えた。放射線の風評被害を実感したことだった。

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Ⅱ  3.福島原発事故のあとーラッキー・・4.どうしてこんな誤解が・・

3.福島原発事故のあとーラッキー・茂木情報

 もうひとつ、私の年来の「はてな」を解決してくれた情報源は、茂木弘道氏(「史実を世界に発信する会」事務局長)が送ってくださった新資料である。その数々の学術的情報は、『放射能を怖がるな!ラッキー博士の日本への贈り物』(日新報道、2011年、121ぺージ)にまとめられている。
 以下の議論は、専門家でなければ立ち入れないこともあるので、私のささやかな体験から「そうだろう」と思われるものを上げることにした。専門家の間には反論もあるはずだが、私はここで立ち入らない。もしこれはという反論があれば、私自身の勉強にもなるので、編集部まで寄せてほしい。

 茂木氏が去年の6月1日にアメリカの医学雑誌『Journal of American Physicians and Surgeons』に発表された「電離放射線の生物学的効果i一日本に送る一視点」というラッキー博士(T D Luchey)の論文を読んだのがそのきっかけだとのことである。この論文の冒頭で、ラッキー博士はこう述べている。

 「世界のメディアの大半が放射線はすべて有害であると思い込んでいる。もし日本政府が2011年3月の地震と津波がもたらした福島原発事故への対応にあたって、こうした思い込みに支配されるなら、すでに苦境にあえぐ日本経済が、途方もない無用な失費に打ちのめされることであろう」
ラッキー博士は数々の貴重な研究成果を上げ、アメリカ国内でも国際医学界でも認められている学者である。

 彼は特にNASAに関係して、高い放射線を浴びる宇宙飛行士の健康問題に長年、関与しているので、そのデータには特別の重要性があると考えられる。
 ここで驚くべきことは、年間100ミリシーベルトの放射線は一番体に良いというデータが示されていることである。無害であるとか無視できるとかではなく、「最高に体に良い」というのだ。

宇宙空間での影響
 ラッキー博士は20年前にも訪日して、低線量の放射線が体によいことを日本経済新聞で語っている(92年7月25日)。特に、イギリスの原子力施設で働く9万5千人を調査した結果、非原子力関係の労働者に比べて、ガンや白血病の発生が少なかった、ただ、ICRP(国際放射線防護委員会)がそういうデータを見ようとしないと指摘している。
 それは、原爆の影響の研究には被害のほうにだけ巨額の金が投じられ、低線量の効果は無視されたからだという。だがその後、21世紀に入ると低線量の研究が進んだが、ICRPの基準にはまだ反映されていないのだ。

 地上よりも宇宙で放射線が高いということは常識である。毎時0.045ミリシーベルトを浴びるという。宇宙飛行士の古川聡さんが半年で帰った時は、百八十ミリシーベルトの放射線を浴びていたことになる。女性宇宙飛行士もいて、地球に帰ってからお産をしているが、奇形児が生まれたという話はない。NASAの宇宙帰還飛行士の健康データは、行く前よりも良くなっているという。そうでなければ、アメリカみたいな人権にうるさい国が、継続的に字宙飛行士を送り出し続けることができるはずがない。

 こんな事例を出せばキリがないようだ。ラジウム温泉やラドン温泉はいずれも放射線温泉で、通常の環境の二百倍くらいの放射線量がある。たとえば、鳥取県の三朝温泉地区と全国平均のガン死亡率を比べると、三朝温泉の人たちは半分以下であり、特に大腸ガンは五分の一以下というデータが出されたこともある。岡山大学ではこの温泉のラドンを利用した「三朝医療センター」を作って、研究と治療を行っている。
 三朝温泉の周辺の人たちの場合でも、全国平均より20パーセントから30パーセント、死亡率が低いといわれる。つまり、三朝温良の周辺地域にも放射線があって、住民に良い影響を与えているということになる。また最近、雪崩で三人の死者を出した玉川温泉は、ガンの治る温泉として有名で、予約がなかなか取れないという。

4.どうしてこんな誤解がー量の問題
 原爆による悲惨な被害は、放射線の恐ろしさをすべての人の脳裏に深く刻み込んだ。これは当然である。原爆が怖ろしいものであることには一点の疑いもない。その怖ろしさが前代未聞・未見のものであったから、大きな錯覚をみんなに与えてしまった。
 関東大震災(大正12年)では大火災が起こり、東京だけで約5万7千人が焼死した。特に、被服廠跡の死者の数はすごかった。火事は実に恐ろしく、被害も大きい。しかし、その後の東京の人が「家事そのもの」を恐れたかと言えばそんなことはない。大火は恐ろしいが、炊事や火鉢や庭の焚火などの火は少しも怖くないどころか、有益でありがたいものであることを、人間は太古の時代から知っているからである。

 この前の戦争末期の東京大空襲では、アメリカのB29の焼夷弾による無差別空襲によって、一夜にして十万人もの東京の市民が死んだ。火に焼かれたり、火に追われて川に入って死んだのである。その死者は、広島や長崎の原爆で亡くなった人より多い。大火はかくも怖ろしいものである。しかしその後も、東京市民はコンロや七輪を使って料理し、落ち葉焚きを楽しみ、のちになると石油ストーブやガスストーブも使って今日に至っている。
 つまり、大火は人を殺すが、小さな火は人を生かし、人生を快適にすることを太古から知っているからである。放射線も少量なら健康に良いことは昔から知られていたのだ。ラジウムやラドンの放射線が体に良いことは、ラジウムとかラドンの名前は知らない時代でも、その温泉に保養、健康の目的で人々は行っていたのである。

 マルクスが「量の差は質の差になる」と言ったと昔、教えられたことがある。マルクスは「富」について言つたのであろうが、それは「火」でも「放射線」でも、ほとんど何についても言えることなのである。たとえば、「肩叩き」を考えてみよう。トンと一回叩けば約250グラムだ。トントントントンと4回叩けば、約3秒で1キロになる。30秒で10キロ、1分間で20キロ、10分間で約200キロになる。
 10分も肩たたきを孫にやってもらえばいい気分になるし、健康にもよいだろう。しかし、200キロの重さの物を一時に肩に落とせば、肩の骨は折れるだろうし、たいてい死ぬだろう。 

 その量と質の問題は他の多くのことに当てはまることはこれ以上並べ立てる必要はないと思うが、たとえば「塩」である。塩は人体に絶対必要であるが、「醤油飲み競争」をして死んだ馬鹿がいたと江戸時代の話で読んだ記憶がある。難しく言えば、ワクチンの原理と同じだ。ワクチンは病原と同じものを希釈するという方法でつくる。極めて有害なものでも、少量なら極めて有益という生理現象をホルミシス(hormesisis、あるいはdose-repense)と呼ぶ。
 原子爆弾の残虐死やチェルノブイリの被害者は、一時的に超大量の放射線を被曝したことによるものである。その怖ろしさは本質的に「大量」ということであり、東京大空襲の火災と同質であり、さらに言えば、馬鹿な新入学の大学生が「一気飲み」をやって急死するのと通底するのだ。

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Ⅰ  1.「はてな」のはじまり 2.福島原発事故のあと,・・

1.「はてな」のはじまり

  原子爆弾の恐ろしさについては新聞やラジオで知らされたが、もつと個人的な状況でその知識を得たのは、永井隆博士の『この子を残して』(大日本雄弁会講談社、昭和24年、238ぺージ)を読んだからである。この本は私が買ったものではなかった。こういう単行本には関心のなかった父が、どういう気になったのか買ってきたのである。

 それは、当時の評判の本だったからであろう(たとえば、読売新聞社主催の良書決定投票第一位獲得)。評判が高いものは芸者の歌謡曲のレコードでも買ってくる父だった。しかし家にこの本があったので私も読み、また永井博士の他の著作も読むようになった。永井博士の『亡びぬものを』(長崎日日新聞社、昭和24年、238ぺージ)は自叙伝であるが、長崎医大の物理的療法科(レントゲン、つまり放射線科)の現役の教授が、研究室にいるときに長崎の原爆を体験し、負傷した体験を書き記しているので貴重である。

 そしてあの日の朝、元気で笑顔で自分を送り出してくれた奥さんが、帰ってみると台所の茶碗のかけらの傍で白骨になっており、それにはロザリオがからみついていたという……などなど、後々まで記憶に刻み込まれるような記述がある。それで「原爆は恐ろしい、放射線は怖い」ということもよくわかった。
 ところが、大学に入ると「はてな」と思うことを体験することになった。学生寮に広島で原爆を体験し、その爆風のため、その方向に向けていた耳がやられて片耳が聞こえない学生がいたのだ。爆風で鼓膜がやられるくらいだから、放射線にも大量被曝しているはずだろう。

 私はその男と二年ばかり同室だった(二人で一室)。また大学院でも同じ部屋だった。さらに卒業後は、隣り部屋に約三年間住んだ。その間、彼が耳以外で体の不調を訴えたことはなかったし、病院に行ったのを見たこともない。「放射線の害はどうしたのだろうか」と、時に思うことがあった。
 これが「はてな」のはじまりである。また、終戦後に疎開して私の、クラスに編入された男がいる。疎開してきた同級生は、戦争が終わるとすぐに続々と東京に帰って行ったのに、なんでいまごろ疎開してきて編入されたのだろうと思った。そのうち、「彼は広島から来たんだよ」とこっそり囁かれるようになった。みんな原爆被害者には同情的だったから、人前ではそれに触れないようにしていた。

 その彼が、定年退職をしたあとに展覧会に絵を出品したという案内をしばしば受け取るようになった。去年も上野の展覧会に出品している。絵が趣味だったのだが、いまではプロ級らしい。去年は久しぶりに、郷里で中学校の同窓会があった。20人ばかり集まった。みんな80過ぎの元気な爺いたちであるが、そのなかでも特に元気で活発なのが3人いた。2は禅宗の坊さんで、もう一人が例の広島原爆からの疎開者なのである。

 その時、私は彼の口からはじめて原爆の話を聞いた。彼の家は爆心地から二・五キロで倒壊したが、彼は中学生で勤労動員のため、4.5キロぐらいのところにいたのだという。それでも被曝放射線量は相当なものではなかったか。私は彼から展覧会の案内をもらうたびに「はてな」という気になっていたのであるが、今度は「やっぱり」という気になった。
 毎年、広島原爆の日が近付くと、被害者だった人たちが登場する。当然、老齢の人もいる。そういう人を見て、「そのうち"私は原爆被害者です"と名乗る人たちが九十歳や百歳になったらどうなるだろう」と言ったことがあった。その時は、子供たちに「そんなことを家の外で言ったら絶対だめだよ」と強く注意された。

2.福島原発事故のあと,日本財団で聞いた話
 あの大地震・大津波に引き続き、福島の原発の事故が報じられた。そして時間が経つにつれて、大地震・大津波の被害よりも、原発事故問題のほうが日本人の心に重くのしかかるようになった感じがする。大地震や大津波の被害はいかに大きくとも、日本人ならそのうち復興するであろう。しかし、原発事故のほうは先が見えないような感じに、マスコミの世界ではなっているようだ。

 個人的なことを言えば、私のスイスに住む孫娘まで、夏休みに日本に帰ろうとしたら「日本に帰っても大丈夫か」と知人たちに言われたという。日本の農産物や工業製品まで放射能の汚染を心配されて、輸出に被害が出たほどであった。
 広い世界やマスコミの世界では放射線パニックが支配的である一方、かすかな声のごとくでありながら、福島の放射線の問題はそれほど騒ぐほどのことでないという確信に満ちた情報も出てきた。それらは、私の年来の「はてな」の疑問が正しいことを示してくれるものだったのである。

 まず、日本財団で何度か耳にした話である。この財団はチェルノブイリの原発事故のあと、20年以上にもわたって20万人もの人の被害の追跡調査を続けている。チェルノブイリでは、原子炉内の核反応が暴走爆発し、黒鉛を使うタイプのものだったため、火事と思って消防士たちが駆け付けた。そのため、急性放射性障害を受けた人たちが30人も急死した。 しかし、その後の長期にわたる調査では、甲状腺ガンの死者が数10人、白血病は一人とのことである。ところが、内陸であるチェルノブイリの辺りでは海藻を食べる習慣がないので、甲状腺ガンは一種の風土病ともいえるものであり、放射線との関係を特定することは難しいという。

 一方、福島第一原発では核分裂連鎖反応が、地震が来る前の予震波をキャッチして自動停止したため、原子炉の暴走はなく、急性放射線障害となった職員はおらず、その原因で亡くなった人はいない。
 そういえば、放射線防護学の世界的権威の高田純博士(札幌医科大学教授)が昨年の四月頃に、普通のスーツ姿で福島第一原発の正門前に立っている写真が掲載されている雑誌を見た覚えがある。高田氏は福島第一原発の事故では、建屋の外にいる人体に危害があるほどの大量の放射線などあるわけがないことを知っておられたのであろう

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2012年3月15日木曜日

ガーデンシティーから,ニューアーバニズムへ

このページは未だ未完成です。


ここでは,「ガーデンシティー」から「ニューアーバニズム」への変遷を書きます。


ガーデンシティーは,英国レッチワースに,エベネーザー・ハワードが創った
          世界初の田園都市。
ニューアーバニズムは,アーバニズムの失敗から考えだされた
          ヒューマンサイズと人間の絆を大切にした”まちづくり”


 ガーデン・シティとリース・ホールド事業





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2012年3月14日水曜日

世界のグリーンツーリズム


♣ 農村ツーリズムとは何か? フランス・ブルゴーニュ地方在住の
                大島順子先生講演記録


♣ アグリカルチュラル・アーバニズムの実践 アリゾナ州フェニックス






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