2012年4月5日木曜日

マーガレット・サッチャーと住宅政策


住宅生産性研究会(HICPM)メールマガジン第450号(平成24年4月3日)より
理事長戸谷英世記


先日、「マーガレット・サッチャー」の映画を見てきました。

 マーガレット・サッチャーは、私が住宅都市整備公団で都市開発調査課長時代の1980年代、英国の歴代最初の女性首相として登場しました。
 彼女は、戦後労働党内閣が一生懸命こだわってきた公共住宅政策を、根底から覆す政策を実施し、世界の住宅政策関係者から厳しく批判されました。

(Margaret Thatcher(現在86歳)、1925年、リンカンシャー州グランサムの食糧雑貨商の家に生まれる。父・アルフレッド・ロバーツは地元の名士であり、市長を務めた経験もあった。サッチャーの生家は代々メソジストの敬虔な信徒であり、生家の家訓であった「質素倹約」「自己責任・自助努力」の精神はサッチャーにも色濃く受け継がれた。1975 年 英国史上初の女性保守党党首(当時新党)となり、4年後の1979年に、欧米初の女性政治指導者となる。)

当時、朝日新聞の記者のO氏は新聞社を休職し、約2年間英国に渡って勉強し、その成果をドメス出版から、ドニソン著『あすの住宅政策』を翻訳出版しました。
彼は私の所にやってきて、「いい本だったので翻訳したが、売れないので書評を書いてくれ」と頼んできました。「どこのジャーナリズムに掲載するのか」と尋ねたところ、「掲載するところも探してくれ」と頼まれました。

早速本を読んだところ、住宅政策史としては、私がそれまでに読んだ本の中で最も優れたものでした。そこで早速住宅関係の雑誌に紹介したところ、少しは影響があったようで、暫くすると彼から再度、書評を頼まれ、新しく書き直しました。
その都度、本を読み直し、1年間で多分5回ほど書きました。その結果、翻訳者以上にその本をよく読み、著者同様に住宅政策を理解しました。

 最初は著者ドニソンが批判するように、「国民の基本的人権に係る住宅問題を市場経済に投げ出すサッチャーの政策は間違っている」という批判が当たっていると思えました。
しかし、書評を書いているうちに、「この書評でよいのだろうか」と疑問を感じました。その後、書評を書く都度、批判されるサッチャーの立場に、自分を置いて考えました。「首相としてどのような選択ができるのか」という疑問をぶつけてサッチャーの政策を批判していくと、その批判に自分自身で納得できないと感じました。

 サッチャーの立場にあったら、私も彼女と同じ選択をしたに違いないと考えるようになり、書評の中ではっきりと「著者のドニソンのサッチャー批判は間違っている」と記述しました。
その10年後、日本の住宅政策が大きな転換点を迎えるようになったとき、年金福祉事業団の招待でドニソンが来日し、各地で講演会が開催されました。私は、どうしてもドニソンの話が聞きたいと講演会に駆けつけました。


来日したドニソンの講演

ドニソンの話は私の予想を覆し、私のドニソン批判と全く同じ考え方の講演を展開されました。講演のなかで「サッチャーの選択を世界の先進工業国の住宅政策として学ばなければならない先進例である」と絶賛されました。
 そして、かつてのドニソン自身の著書に対し、「あの著書の記述は間違っていた。」と明言されたのを聞いて、「よかった」と感じたことを今でも思い出します。

戦後の住宅政策として英国の住宅政策がもっとも先進的な政策であると考えてきた世界の住宅関係者(政策、行政、学術・研究)にとって、当時の「既存公営住宅の払い下げと新設公営住宅の廃止」というサッチャーの政策は、青天の霹靂でした。
かく言う私も、大学時代にエンゲルス著「住宅問題」(岩波文庫)を読み、西山卯三著「住宅問題」(岩波新書)や上野洋著「日本の住宅政策」(彰国社)などを読み、住宅政策を実践しようとして建設省に入省しました。

当時の住宅局の技術官僚は、S課長を筆頭に、英国の住宅政策を日本の住宅政策の目標にしていました。それを覆すサッチャーの政策は、それまで信じてきた理想の住宅政策の拠り所を否定したため、住宅問題関係者ほとんど全員が無条件にサッチャーの政策には反対でした。
財政状態が厳しかった英国にとって、「1世帯の住宅難を救済するために1戸の住宅を供給する費用で、10年間先までの家賃補助をする政策を採用すれば、同じ財政負担で20-30倍の世帯を救済することができるならば、あなたならどのような選択をしますか。」という問いをサッチャーは自らに課した結果だったということに私は気付きました。

サッチャーは限られた予算で国家が一人でも多くの国民に公共住宅施策を及ぼすことを考えたのでした。一人でも多くの国民に自分が政治責任を負うことのできる政策としてどのような政策を取るべきかという政治判断の結果が、直接供給から家賃補助への転換だったのです。


「一般社団」という公費私物化「我田引水」の官僚の隠れ蓑

通常の政治家の政治判断は、保守党、労働党いずれの党も党利党略が何より優先します。官僚の場合も、自ら退職後の人生で楽をすることを第一に考え、「AIJの企業年金運用事件」にみられるように、目先の天下りしか見えなくなり、企業年金会計ことなど考えなくなります。

 現在の長期優良住宅政策の中で、経済特区での特例措置の議論がなされ、民間活力といって「一般社団法人」を通して補助金を使う政策が実施されています。
しかし「一般社団法人」は天下りの社団法人や財団法人の「隠蓑一般社団」であることを皆承知のうえで、膨大な財政が「一般社団」を経由し、官僚の天下り人事の人件費(生活費)と政治献金に流れています。

一般社団からのおこぼれに預かろうとする民間が、予算配分権を利権として業者を操ってきた官僚の言い訳を容認し擦り寄っているからです。政治家も官僚も国民のためという枕詞を使っていますが、その本質は自分らの利益です。

 サッチャーの生き方は、それとはまったく違うものでした。自分に与えられた政治選択の中で、限られた財政支出の中で、既得権の反対を押し切っても自分の信じる最大の費用対効果を生み出そうとしました。 この映画を自分の利益中心で動いている公的立場の人に是非見てもらい、自らに恥じない生き方を学んで欲しいと思いました。


政治家としての一分

マーガレット・サッチャーは、現在認知症を患っていますが、映画では、亡き夫の幻影との会話から始まり、過去を回想するというストーリーを通して、サッチャーがどのように政治に取り組んだかということを浮き彫りにした優れた映画作品です。
映画の中には住宅政策のことは特に出てはいませんでした。しかし、フォークランド戦争のような今でも国際的に論争となっている問題で、国家のため、フォークランドに住んでいる移民地居住者のため、歴史的事実を踏まえて、筋を通して現実的な政策を採ろうとしました。

現実的に見て合理的なことに、彼女の全ての政策への取り組みの考え方が現れていると感じました。映画を見ながら30年前の英国の住宅政策の大転換のことを思い出していました。サッチャーのような生き方ができるだろうか、とわくわくして一気に見てしまった感じで、映画が終わってからも、余韻と感動が残りました。


住宅生産性研究会(HICPM)メールマガジン第450号
http://www.hicpm.com/20120405-2004.html

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