2014年5月29日木曜日

松枯れ原因論


 ヤマンバの会事務局長の村山隆様から、下記のメッセージと共に整理目もが送られてきましたので、転載させて頂きました。

 < 御苦労様です。最近やっと、空中散布の「効果問題」が浮上して参りました。
「健康問題」と共に、大切な視点だと思います。とりわけ、里山を真に守るためにはどうしても必要な理論的視点です。・・・それは「松枯れ原因論」と不可分ですので、簡潔明瞭に纏めてみました。お目通し御意見を下さい! 松本市、安曇野市の皆さん方の市民運動の御奮闘に触発され、それに些かでも貢献できればとの思いから、稚拙を顧みずに「整理」してみました。 御活用下さい。早々
  2014・5・27(火)夜 信州上田塩田平・ヤマンバの会事務局長 村山隆より >

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「松枯れ原因論」と「その防除方法・効果」についての整理メモ
 
1.はじめに~主に防除効果問題に焦点化して簡潔明瞭に論及
2.一般通用している松枯れの原因と防除方法(推進側)
 ◎1970年以前には『大気汚染・酸性雨などの説』が主流だったが、1971年頃に林野庁が「虫害論一辺倒」になって他説を否定・無視した。従って、媒介昆虫(マツノマダラカミキリムシ)の撲滅のために農薬散布が主流(常識化)となった。散布方法は《地上散布⇒有人ヘリ空中散布⇒無人ヘリ空中散布》へと変遷・高度化した。名称も「松くい虫」と呼称・宣伝されて「虫害論」だけを啓蒙・普及・洗脳し、社会的に通用している。
3.推進側「松枯れ農薬散布防除方法」では撲滅不可能だった冷厳なる事実(破綻した「農薬防除論」)
 ●虫害説に依拠して1973年「松くい虫特別防除法」制定。更に1977年「松くい虫防除特別措置法」が制定され空中散布を制度化。「制定5年で撲滅する!」と豪語するも(西日本から青森県まで蔓延化)、同法は4回も延長されて現在は「森林病害虫等防除法」(1997年制定)に組み込まれて実施されている。
 ●何故に撲滅不可能だったか? 答えは簡単明瞭!「松枯れ原因」と「防除方法」とが噛み合っておらず、農薬空中散布の効果は薄弱だったのです? それも其の筈!1977年法律制定後に「空散効果データ全9資料」の全部に捏造・改ざんが発覚(農林官僚の処分)、法律は無傷で今日まで継続しているからなのです。
 ●従って、以後も防除効果が無いから全国各地で空散効果の捏造が頻発!(或は「効果検証」の未実施が殆ど)
 ●長野県も全国の悪しき伝統を継承。更に「県検討部会」では「効果写真・データ」の誤魔化しを行いました。

4.事実と道理に基づき地域で考察し到達した「松枯れ原因論」の整理
★●A~松山は放っておくと自然に枯れて行く!(植物群落遷移) 
★●B~里山管理しない松山は弱体化・枯死する!(サデ浚い、間伐・除伐しない事に因る富栄養化)
★●C~酸性雨・酸性霧・大気汚染による直接的被害(枯死)! 
★●D~酸性雨・酸性霧・大気汚染による土壌酸性化による弱体化、及び枯死!
《▲土壌中の菌根菌との共生関係の破壊で弱体化・枯死》 《▲可溶性アルミによるリン欠乏でも》
★●E~弱体化した松に止めの一撃(マツノザイセンチュウ)で枯死!

5.松枯れ原因論に適合した「予防・駆除」について(農薬空中散布を断念したからこそ叡智が誕生!)
世界的規模での「公害防止」(大気汚染・酸性雨・オキシダント・PM2.5 等の発生抑制)の普及・徹底を!
先ず、「里山の長期的あり方」を決める! (松を残す山か? それ以外の山にするか? 地域の合意形成を)
個々の里山の松枯れの「診断」を実施し、主要原因を特定し、それに立脚した「防除戦略」を組み立てる!
▲里山の樹種転換  ▲混交林育成  ▲更新伐  ▲里山の管理・整備作業の徹底化  ▲抵抗性品種の植樹  
◎木炭・竹炭の施用 ◎ミネラル・抵抗力増強剤の施用 ◎アカゲラ誘致用巣箱の設置 ◎天敵微生物の活用(ウィルス、バクテリア) ◎他の方法駆使(雄誘引剤、電気による防止法、低周波振動で産卵防止、植物抽出液)
伐倒チップ化・焼却処理   ☗伐倒燻蒸処理   ☗樹幹注入剤   ☗農薬地上散布

6.虫害論に依拠した殺虫農薬散布防除(空中散布・地上散布)に関する技術的困難性
 虫害論に立った「防除解説書」でも【衰弱した松に産卵】と記載し、松を弱体化させる第一次原因に注目している。
 ※媒介中(カミキリムシ)の気門にセンチュウを内包し、羽化後の新梢を食した時に移すと謂うが、その時は既にセンチュウが移動している可能性が高く有効性に疑問がある。何れにしろ散布の適期は極めて困難
 ※ですから、推進派は《空中散布と伐倒駆除を併用しなければ防除効果は無い!》と断言しているのです。

7.おわりに~松枯れ農薬空中散布効果は架空の幻です!     (ヤマンバの会事務局長 村山隆/2014527)

ーーーーーフッター
農楽のすすめ!
http://tateshinadayori2.blogspot.jp/2011/08/blog-post_26.html

”田舎暮らし”動画がYoutubeに300本以上

http://jp.youtube.com/user/takasukey
「街並づくり」の理念にご興味のある方は
http://www.youtube.com/watch?v=nn5OVYAwJnQ

メルマガ「蓼科便り」のアーカイブス
http://tateshinadayori2.blogspot.com/
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
トップに戻る



2014年5月22日木曜日

オランダとベルギーの街並みと住宅2

2014年5月12日付け住宅生産性研究会(HICPM)のメルマガ:オランダとベルギーの街並みと住宅 シリーズ2。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



MM559号(5月12日)
みなさんこんにちは

「オランダとベルギーの街並みと住宅」の学習研究報告,第2回として,高密度市街地で豊かな空間をつくている「オランダの小さな町の魅力」を確かめた報告をお送りいたします。

カールマルクス著『共産党宣言』が教えてくれたヨーロッパの都市
オランダの町を旅行すると、一番驚かされることは、日本よりはるかに人口が高密度である国であるにもかかわらず、町を出た途端、そこには牧場が広がり、牛や羊たちが放牧されているのどかな景色があることす。都市が豊かな自然に囲われているのはどうしてだろうかとオランダに来る都度、何度も考えさせられました。そのときいつも思い出すのは、学生時代に読んだカールマルクス著『共産党宣言』です。そこで初めて知ったことは都市の作り方自体がヨーロッパ大陸と英国は日本とは全く違っていたということでしたヨーロッパ大陸にある都市は常に戦禍に脅かされていたため、らの都市を守るために城郭を築き外敵から守り、その中に住む人に市民権を与え、高密度に住んでいました。城郭を造ることは大変お金がかかることでした。そのため城郭はどうしても造らなければならなくなるまでは造らず既存の城壁の中にできるだけ人口を詰め込むことにしたのです。のため、住宅の上には住宅が載せられ、共同便所や共同水道という住宅が普通に建設されました。そのため、フランスやイタリア、ペインなどの大陸の都市では城郭内にできるだけ沢山の人口を住せるための共同住宅(マルティ・ファミリー・ハウス)が建設されました。

共同住宅(マルティ・ファミリー・ハウス)と戸建て住宅(シングル・ファミリー・ハウス)
城郭の拡張が人口増加に追い付かず、そのうちに、その後ブルジョワジーの原型になる都市間の商業流通を営む人たちが、日常的には城外に生活し、緊急の危険を感じ多ときには、都市に逃げ込むことになりました。緊急事態に都市に入る鍵を与えられていて逃げ込むことができる人が「城外市民」と呼ばれる市民です。しかし、英国はヨーロッパ大陸とは違ってその必要性がなかったため、土地の上下に他人の権利が重ならない住宅(シングル・ファミリー・ハウス)がたてられました。そのため、英国では「まともな住宅というものは,上下に他人の権利が存在しないもので、専用のバックヤード(裏庭)を持っている」ということが住宅の常識になっていました。長い中世の都市の歴史の中で、人々が高密度に住むという条件の中でお互いが豊かな生活を営むことができるまちづくりの方法を開発して来たのです。英国で「テラス」と呼ばれる住宅は、独立住宅が隣地境界線に接して建設される連続住宅を言います。オランダはまさに運河や城壁で街を囲い、外敵の侵入から自らの生活を守った大陸型の都市づくりで、大都市では共同住宅が建設され、小さなな都市では、英国の都市住宅同様なテラスにより、高密度開発を実現してきました。今回調査したオランダとベルギーはいずれも地盤が軟弱な低湿地であることも関係して、中低層過密住宅をつくる方法として、共同住宅ではなく、連続住宅による高密度開発が小規模開発として対応しやすいと考えられられたようです。

ヨーロッパの都市を理解するための最高の図書『共産党宣言』
私が世界を旅行し、大陸と英国の町の違いを見る都度、『共産党宣言』を思い出します。わたくしの学生時代には、ほとんどの学生は「共産党宣言」を読み、資本主義国家の形成の歴史を同書から勉強したものです。『共産党宣言』は近代資本主義経済体制がいかに形成されたかを、科学的に学ぶ歴史書として、近世になって世界中でもっともよく読まれた本の一つです。日本でも、欧米の社会科学を学ぶ入門書として、この本を読まない学生はいなかったほどです。わたくしは英語の勉強をするためにも、歴史の勉強のためにも、この本を何度も読みました。『共産党宣言』の書き出しの文章が、戦後の民主化の中で東京大学の入学試験に取り上げられたことも影響していたと思います。この本には、戦後の民主教育を象徴する資本主義社会を学ぶ原点が記載されていたため、多くの学生は何度も熟読しました。オランダの都市はヨーロッパ大陸の都市とおなじように城郭に代わる運河を使って都市を守り、市街地の人口密度は驚くほど高いのです。しかし、市街地には市民が共有空地(コモン)を上手に使い、そこを住民の共通のルールで管理することで、共有空間は何重にも多目的に利用できます。私が『共産党宣言』から学んだ都市の形成史を『建築法規概論』(共著:オーム社)で40年前に紹介し、筑波大学などの教科書(副本)として使われました。

共有地(コモン)の利用がカギを握る都市空間利用
城郭の外には農地が広がり、そこは都市の住民にとり、農業をし食料を確保するとともに健康のためにピクニックにでかける場所です。都市空間と農業空間を市民が両方利用することで、メリハリの利いた都市生活ができます。中世に骨格が作られた都市と農村の関係が、近世以降の都市形成に大きな影響を与えてきました。都市にはそれぞれの歴史文化があり、中世の地方分権的な都市の歴史を背負って近代の都市が形成されたわけですから、ヨーロッパの人々はそれぞれ固有の地域地区に対し高い帰属意識を持っています。その理由の原点は、人々は生活をする上に土地が限られているため、共有の空間(コモン)地を利用せざるを得ず、共有地の利用をめぐてルールを設け、それを地縁的に自主的に統治(自治)してきたからです。つまり、共有地(コモン)を大切にすることから、近代のコミュニティを大切にする意識が生まれてきた理由であるといわれています。実はコミュニティが都市のセキュリティを高める最大の鍵を握っていることが、1980年代のTND(トラディショナル・ネイバーフッド・ディベロップメント:伝統的近隣住区開発)理論の構築段階に明らかになりました。そしてそのTNDが米国のニューアーバニズムによる都市づくりの中で中心的計画理論として再確認されてきました建築物の隣棟間に無意味な空地を作らない理由も、賊が隠れることができなくするためといわれています。そのニューアーバニズムの原点ともいうべきセキュリティとコミュニティを育てる街づくりが、今回のオランダやベルギーの町に中世からの街づくりの中に深く根付いています。

高密度市街地を豊かに利用する鍵:共有地(コモン)の利用
高密度に居住しながらも人々に豊かな環境を提供するためには、市と農村とが人びとの生活空間として有機的に繋がっている必要あります。欧米では都市計画法の中で都市と農村とを一体的な空間として扱い日本のように市街化区域と市街化調整区域という線引きで都市と農村とを対立した概念で扱うことをしません。都市居住者にとって農村はその人間性を回復するために必要な豊かな自然を提供する空間とされています。都市の中では過密な高人口密度で生活をしながら、そこには豊かな緑が共有緑地(コモングリーン)して確保されています。低湿地の水を排出するために運河が築造されました。その運河に関連する人たちの生命財産と運河とは不可分に関係していることから、運河の管理を関係者の自治によって行ってきました。運河を自治の思想で管理する仕事が近代国家の仕事になった後も、運河を交通・運輸の手段と利用するだけではなく、と緑の環境を享受する手段に利用するためにも、それらをすべて国家の管理にゆだねるのではなく、関係する利害関係者による経営管理ルールをすることで、国家の管理として自治的なな管理とが共存しています。そのことにより官民の役割分担がなされ、より合目的的なメリハリのある管理がなされ、その権利を背景に、都市計画が、官民の役割分担に沿って、野放しの自然ではなく、管理された豊かな人間環境をつくているのです。1991年ヨセミテ公園のアワニーホテルで都市開発としての合意「アワニーの原則」が地域、区の段階に対応した官民協力の役割分担をまとめたが、その原型がオランダの伝統を担った都市の自治による�‚!
�ミュニティ経営に見られます。

長崎のハウステンボスの中心にある市役所のモデル:ゴーダの市役
今回のオランダ旅行での一つの目玉は、日本に作られたオランダの空間ハウステンボスのモデルとなった空間がどのようにつくられ、どのように利用しているかを知ることにありました。テーマパークとしてつくられた人々が実際に生活していない長崎のハウステンボスは日本人にとってより訪問しやすいところです。、それを日本の街づくりに活用する技術として吸収するために、長崎に造られてきたハウステンボスを有効に活用できないかと考えきました。実物大のモデルを見て説明することは写真に比べてはるかに良い教材になるからです。私がこれまで4度訪問した日本のハウステンボスとの比較を含め、本家ゴーダの市役所のある空間を3度目の訪問をすることで、オランダのコミュニティの説明を、長崎のハウステンボスを活用してできないかと考えました。
日本の長崎に作られたオランダの女王の宮殿・ハウステンボスの中心広場とそこに立っている市役所が、訪問したゴーダの市役所のあるコモン(共有地:マルクト広場)の空間です。この市役所の建築物は、オランダを代表する美しい建築物であるということで、長崎のハウステンボスの中心に立てられました。中世の市役所のデザインとして魅力的であったので、長崎のハウステンボスの中心に立つ市役所建築物としては、ゴーダの市役所をそっくり真似た建築物が立てられました。ゴーダのマルクト広場を訪問することは、オランダの中世から大切に守られてきた都市空間を手っ取り早く理解するうえで大変好都合ですし、日本のハウステンボスを訪問し、それを疑似体験をし、ゴータ市民が大切にしてきた空間計画を学ぶ上で、教科書的実例空間になると思います。
以前、ゴーダに来たときは、鉄道でゴーダの駅まで来て、そこから徒歩で市役所のある中心広場まで歩きました。駅からはほんの5分足らずの距離で、街並みに気を取られているとマルクト広場に出てしまうといった感じでした。今回は車に車いすをつけて都心のマルクト広場の近くまでやってきて、そこで車いすに乗ってゴーダの市役所とギルドの建物と、それらが取り囲んでつくているコモン(マルクト広場)を見て回りました。

昔と同じように繁栄するマルクト広場
都心の中央にあるのがマルクト(マーケット)広場です。広場を囲んで立ち並ぶ建築物は、ギルドごとの個性を主張した多種多様なデザインの建築物で、マルクト広場が造られています。その建築物の連続したファサードに囲まれた広場が私たちが学ぼうとしているコモン(都市の共有空間)の中の最大規模のものです。その中心になってコモンの空間利用の方向付けを定めているのが、ゴーダ市役所です。コモン(共有地)としてはそのほかに様々な規模のコモンが町全体に散在していますコモンの性格も活用の実態もそれぞれ違っています。都市全体に人々が高密度居住しているにもかかわらず、日本では見ることができないほどの大きなマルクト広場が造られています。広場ではゴーダが栄えた中世から、現代にいたるまで、チーズや食肉加工品や野菜や果実、食品や日用品雑貨、衣料や装身具、家具や食器など生活必需品や様々な商品の市場が立ち、人々の経済活動の中心でした。同時にこの広場では、政治の行事が行われたりする都市生活の中心であり、商業や文化の中心の空間(コモン)です。々の生活がこのマルクト広場とつながっているのです。現代も観光事業として、同じような利用がされているようでした。ゴーダの人々の生活がすべてこのマルクト広場との関係で作られているのではないかと思われました。

今でもゴーダのシンボルとして機能する「からくり人形」
このマルクト広場と呼ばれている市役所広場には、その地に持ち込まれる商品を運搬する運河が造られ、その運河を利用した商工業が繁栄しました。運河の両側を商店街で造られたギルド組合の建物が軒を連ね、バックアレー(裏通り)を背中合わせにした街並みで取囲われた中央広場に市役所が、ゴーダの文化を象徴する建築物として立っていました。この中央広場や街並みの構成の姿もそのまま日本の長崎に作られたハウステンボスに取り入れられています。中央にあるゴーダの市庁舎の前面の壁のすぐ隣の横壁上方にに取り付けられている時を告げる「からくり人形」時計は、日本のハウステンボスの市役所にもつけられています。この「からくり人形」時計は、特別豪華なものではありませんが、昔から時を告げる施設として人々の生活リズムを救ってきた施設として、なくてはならないものでした。現代でもその歴史を伝える文化施設としてゴーダの市民に愛され、本物の市役所でも、毎時間、市役所の時計台から音楽とともに飛び出すため、市民も見に来たり、多くの観光客もその様子を見に集まってきていました。ほんの1分足らずの人形の登場・パフォーマンスを30分以上待ち、「からくり人形」が動き始めると、望遠カメラの放列が迎えて、あっけなく終わった分だけかえって貴重なものを見た満足を感じているようでした。

チーズの街ゴーダ
ゴーダの街の中心広場には昔からのチーズの計量所があり、そこではチーズも販売していました。しかし、かつて私が訪問したとき、計量所とは別の場所に驚くほどたくさんの種類の大きなチーズの販売店があって、そこが興味があったことを思い出しましたので、しその店を探してみました。チーズの専門店は中央広場にはなく、中央広場に続く道の入口だったことを覚えていました。しかし、央広場とチーズの専門店の方向感覚がわからなくなっていましたで、その場所を地元の人に確認し、分かったのでそこに出かけました。そこでは大きな円形の蝋でチーズの周囲をくるんだチーズが山積みになっているだけではなく、香辛料が入ったチーズやハーブの入ったチーズなど色とりどりで、味も形も違った驚くほどたくさんの種類のチ-ズがありました。その店にはたくさんの買い物客が入れ替わりたちかわりやってきて、門前市をなしていました。私たちもここを訪れたオランダの観光客が楽しんでいるように、さまざまな種類のチーズを試食し、楽しみ、驚き、そして驚くほどの種類のチーズを、沢山、お土産として購入していました。ここではショッピングすること自体が楽しく、来店者の満足は高いように思えました。

運河が生き続けている町
中央広場を囲う形に周辺の運河がありますが、それは建物にブロックされた広場からは見えません。運河に面した道路に軒を接して建てられている店舗と中央広場に面した店舗とが、背中合わせに造られ、どこまでもエンドレスに並んでいました。つまり、中央広場の裏側の運河に面した道も楽しいショッピング通りになっていました。その通りに面してこじんまりした広場のあるゴーダ博物館がありました。道路から狭い運河にかかっている長さ10メートル、幅4メートル程度の橋を渡った先には入口の扉のある門がありました。博物館の前の広場はそんなに大きな広場ではありませんが、敷地に起伏があり、博物館の建物を背景にした変化に富んだまとまりのある空間になっていました。そこにはたくさんのテーブルが三々五々にグループをつくって地盤面高さを変えて並べられていて、そこはアウト・ドア・カフェーになっていました。

都市の共有広場(コモン)として機能しているゴーダ博物館
ゴーダ博物館の広場全体は、塀と建築物に囲われたこんもり盛り上がった台地となっていました。そこには多数のオブジェのほか、高い木も植えられ、起伏を利用した地盤の高さの違ったところにテーブルが置かれていました。広場にはおどけたユーモラスな人形や面白いデコレーションがあり博物館の出窓に飾られた人形が目立つように飾られた建築の外壁と塀とが、広場の景色の背景となっていました。来館者にとって、そこはお茶を飲んだり軽食を楽しめるくつろげる場所になっていました。
この広場・公園は、日本であれば、敷地造成のときに重視する「らば」(平らな土地)をつくったり、コンクリート舗装をすることは敢えてせず、すべて起伏がある地形をそのままの状態で利用していました。そのため、土地の起伏そのものが広場・公園の面白さとなっていました。その広場は隣の敷地の中庭とも連続した公園道路がついていて、門をくぐれば隣の庭とも一体的に散策できるようにもなっていました。博物館に入らなくてそこでお茶の休憩を取って時間を過ごす人もたくさんいました。私たちもくつろいでお茶や食事をしている人たちの雰囲気を楽しみそこでお茶を楽しんでから、隣に見えるこのゴーダ最大の見せ場である聖ヤン教会を見学しました。

聖ヤン教会のステンドグラス
聖ヤン教会は、洗礼者ヨハネ(ヤン)に献納された教会で、ヨハネの生涯が聖歌隊席の周りにステンドグラスでつくらていますこのステンドグラスは1573年以前に造られたこれらのいわゆるカトリック・ステンドグラス」は、1552年の火災後に、この教会に寄贈によるものでした。このステンドグラスは寄贈されたものですが、いずれのステンドグラスも、宗教関係者と非宗教関係者が双方とも自分たちが良い人間であり、敬虔な人間であって、その力を持っていることを示すために寄付をしたと説明されていました。ステンドグラスのスポンサーは、スペインのフェリペ2世、その妻メアリーチュード、オランダの女性提督、司教その他の高位聖職者ゴールデンフリースの騎士たちなど著名人が多く、かれらから贈呈された700枚近いステンドグラスがこの教会の誇る宝になっていました。ステンドグラスには作成者(依頼者)名が付けられているため、これらのステンドグラスが寄贈された歴史の経緯を今でも検証することができるようになっています。これらのステンドグラスの寄贈者や作成者名がその歴史を現在確認する手がかりになっています。そのため教会に見学に来た人にとってステンドグラスは、時代を超えて制作時の色と光を伝えてくれる美しい評価・鑑賞の対象であるだけではなく、その裏側に大変な歴史があることを聞かされ、ステンドグラスが現代に人類の歴史文化を伝えていることを感じさせてくれました。

市民の宗教と離れても生活文化としての教会
今回は聖ヤン教会の内部が全面的に改装中でしたが、教会の内部装飾をみやすいように解説され、展示してありました。この改修工事は20年以上の歳月をかけて行われているものですがカトリック教だけではなく、行政も民間も当地の共有の財産と考えて取り組んでいます。この教会は特定の宗教施設というのではなく長い歴史文化を経てゴーダの人々が守り育ててきた文化遺産であと皆が考えているところに、「ゴーダの街造りの本質」があると思いました。よく西欧のキリスト教社会では、人々の宗教離れが進んでいると言われています。確かに、信者数や教会へのラ礼拝者を統計的に見る人は信者は減少しているというかもしれません。しかし、ヨーロッパについて勉強をすればするほど、キリスト教文化派に飛び乗の生活基盤を構成していて、宗教行事に限定して考えることはできないと思います。ヨーロッパにおける宗教と人々の生活の関係は、日本とは全く異質のものがあるように感じます。

御利益信仰と違う「オランダ人の生活の骨格を作っている宗教文化
御利益を求める信仰や、アミニズムのような自然に対する八百万の神に対する信仰とは違い、キリスト教は「人格神の対決」といった個人の生き方として、人々の生き方に影響しています。リスト教は人間の生き方そのものを左右する宗教の重い問題としだけではなく、人間の社会、政治と深く関係して人びとのと生活に組み込まれています。キリスト教は西欧人の生活そのものの一部こ組み込まれた宗教としてだけではなく、信仰以前に人々の生活との関係をもっています。ゴーダの聖ヤン教会の改修・改装事業の中にゴーダの人々の町の育ててきた文化に対する思いを見せられ、ゴーダの市民にとって宗教は個人の信仰を超えて、人々の生活を支えてきた文化風土として、市民が支えている印象を受けました。

次回はライデンを紹介します。
(NPO法人住宅生産性研究会理事長 戸谷 英世)

********************************************
特定非営利活動法人 住宅生産性研究会(HICPM)
〒102-0072
東京都千代田区飯田橋2-13-3 仁藤ビル2F
TEL:03-3230-4874 FAX:03-3230-2557
e-mail:info@hicpm.com
********************************************
ーーーーーフッター
農楽のすすめ!
http://tateshinadayori2.blogspot.jp/2011/08/blog-post_26.html

”田舎暮らし”動画がYoutubeに300本以上

http://jp.youtube.com/user/takasukey
「街並づくり」の理念にご興味のある方は
http://www.youtube.com/watch?v=nn5OVYAwJnQ

メルマガ「蓼科便り」のアーカイブス
http://tateshinadayori2.blogspot.com/
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
トップに戻る

2014年5月20日火曜日

オランダとベルギーの街並みと住宅


 この記事は、住宅生産性研究会(HICPM:東京都:理事長・戸谷英世)が発信しているメルマガからそっくり転載させて頂きました。
 理想の”まちづくり”を探し求めて世界を歩き、日本での実現に人生を捧げてこられた戸谷英世理事長ならではの観点から書かれていると思います。
 住宅と全ての建築は人文科学であり、工学ではないという基本哲学が一貫しており、尊敬申し上げております。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

HICPM/MM558号(2014年5月6日)

みなさんこんにちは

 ゴールデンウイークはいかがお過ごしでしたか。今回から10回程度オランダとベルギーに出かけて調査したことをお知らせいたします。

 

第1回「オランダとベルギーの街並みと住宅」の
    学習研究報告の連載にあたって


療養旅行で気力回復
 昨年末から体調を崩し、今年になって急激に悪化したことから、病院通いをしながら車椅子通勤をしてきました。予定をしていた国内及び海外研修もキャンセルし体調の回復に努めてきました。
 たまたまゴールデンウイークに入ることになったので、この機会に娘が生活しているオランダに出かけ、日ごろ気になっていた「街並みを楽しんでいる北欧の人々の生活」を、私自身が車いす生活者となった時の目で確かめるチャレンジをすることにしました。
 娘の家で寝たきりに日々を過ごすことも選択肢にありましたが、回復することを期して、療養を兼ねて4月24日から5月5日までオランダとベルギーの街並みと住宅を調査しに出かけました。
 おかげで体は期待以上に回復しました。妻と娘という頼りになる相談相手と現地に精通した案内者があったことがこのたびを成功させてくれました。

世界一自由で豊かな国
 その調査の目的はオランダは世界一自由な国で、人々の違いを最も尊重する差別の少ない国でもあります。デンマークの社会福祉は最高の水準にあるといわれていますが、経済力の高さを考えると、オランダは社会政策もデンマーク以上に充実し、社会住宅では世界で最も普及している国です。
 世界の海を支配していた国だけに多くの世界中にあった植民地から、多数の民族や人種が移住しオランダの国籍をとり何世代も経過し、人権問題を解決してきた歴史の重さを感じさせる国です。
 フランク・ロイド・ライトが優れた住宅・建築・都市は、民主主義の実現であるといったとおり、個人が尊重される民主的な空間こそ、豊かさを感じられる空間です。このような歴史文化を積み重ねてきたオランダおよびベルギーではどのように優れた都市空間を造り、人々がその空間を享受しているかを確かめることが旅の目的でした。
 長い歴史を経て人々によって守られてきた空間は、人々がそれを重要と認識し、守ってきたことで優れた空間を享受できるもので、人々の努力なしに存在することはあり得ないからです。

観光旅行と学習・研修旅行の違い
 日本でも街並みや建築デザインに対する関心が高まって欧米に出かける人は多くなっています。街づくりに関係する人たちが優れた環境を経験することは大切なことです。
 しかし、それらの多くに人たちは、人文科学としての歴史文化に裏付けられた建築教育を受けておらず、環境を工学都市工学や建築工学のように工学の問題と勘違いし、デザインは個人的な感性の問題に矮小化し、自分で気に入ったものを選択したり、時代傾向を先取りすることに走り、「つまみ食いの欧米観光」をデザイン研修と勘違いする人が多いと思います。
 それが日本から欧米にたくさんの観光客が出かけても、日本の街並みが改善しないどころか悪くなっていく理由だと思います。観光客として欧米を町並み観光をして楽しむことも重要です。しかし、目新しいものを発見しようとしたり、それを先進的だと勘違いし、それを日本では「差別化」と言っていますが、それは間違っています。デザインは「差別化の手段」であってはなりません。

デザイン学習は人文科学的方法
 住宅・建築・都市産業関係者として、都市空間を提供する側にいると自覚する人は、観光と同時に、それらを提供する専門的な歴史文化に裏付けされた知識を学ばなければ知識やの能力は高まりません。
 人々にとっての住宅、建築、都市空間に関する歴史文化を空間形成のアイデンティティとして捉えようとしていない限り、住宅、建築、都市の空間文化を体系立てて豊かな人間の生活文化空間として作ることを学習することはできません。
 欧米に出かけ楽しんでくればデザイン能力が高まるわけではありません。観光案内業者や通訳がついていても、異文化を学ぶべき本人が人文科学の知識として目的をもって学ぼうとしない限り、観光では知識は高まりません。
 苦労して努力し空間文化の歴史を勉強をしない限り、優れた空間を創造する能力は高まりません。観光旅行と研修旅行の違いです。

学習を豊かにする歴史文化に対する問題意識
 今回は実質10日間のオランダとベルギーの街並み調査を通して、これまで両国には5回以上訪問しその関連を持っているヨーロッパの国や、元オランダ東インド会社があったインドネシアでも3年間生活したことも、書物で学んだことの確認を含めいろいろな知識や情報が積み重なて今回の旅行の問題意識になっています。 

 人々が豊かさを感じることのできる住宅、建築、都市空間をどのようにして造り、享受しているかということを旅行した都市の訪問順に、私自身の都市理解の旅行記として順次紹介することにしました。

 その視点の問題意識としては、生活する人が豊かさを感じている理由を見つけようとする問題意識があり、それは米国におけるニューアーバニズムの取り組みに刺激された伝統的近隣住区形成と伝統的な文化空間との関係として意識的に考えてみました。

大学都市ユトレヒトは、ユトレヒト条約の締約都市
 大学都市ユトレヒトは、町の中心を運河と自然の河とが流れる落ち着いた大学町です。AD47年この地ユトレヒト(語源:船渡しの場所)に、古代ローマ人がライン川の要塞をマース川をわたったところに街を築きました。そこに古代ローマ人が定住したことが、この街の名前のユトレヒトの由来になりました。

 ユトレヒトの人々はAD8Cキリスト教を受け入れ、長く司教区が置かれ、ユトレヒトは中世の宗教中心地として栄えました。1713年、英国がスペインおよびフランスに対し、米国における利権を巡る争いで、英国がユトレヒト条約でスペインおよびフランスに対し利権を得ました。その戦後の秩序を決めた条約の締結地で、国際的にも重要な位置を維持していた都市です。

個性豊かな建築の多様性の統一
 ユトレヒト中央駅の前面に旧市街地が広がっていて、鉄道駅から徒歩で5分くらいのところに鉄道と平行に「古い運河」が流れています。その運河の両岸に走っている道路には、緑が芽吹く街路樹の立ち並んでいます。鉄道線路から運河までの市街地は、個性豊かな建築様式、ファサードのゲーブル(切妻)飾り、高さ、幅といった建築物としての形も、装飾も建設時代ごとに相違する3-4階建てのレンガ建築が隣地境界線に面して高密度に建築されています。

 その市街地内部には、多種多様な店舗が軒を連ねて立ち並び、とても魅力的な街なみ景観が形成されていてます。その駅前に広がる街並の中に、有名なオルゴール博物館が外観からもわかるような形で建っています。そこにはユトレヒトの目玉観光場所であるため、多くの団体の観光客が集まっていました。

運河と道路のデュアルモード交通システム
 鉄道駅からの街並みの連続面状に市街地は広がり、「古い運河」に沿って街並みが区切られ、そこからさらに市街地が続いて形成されています。町並みの中の「古い運河」は、沿道の道路の路面より水面の高さが、1階分の高さよりかなり低くなっています。
 道路面の下に道路に接する住宅の地下空間が運河の水面に直接接するようにできていて、運河から道路の下部に築造された隣接地の地下工作物の出入り口が設けられていました。そこは運河で運ばれてきた荷物を地下工作物の道路の下部を通って各住宅に荷揚げするところとなっています。

 個人の専用利用できる運河からの荷揚げ場が、運河から直接か、または道路を挟む場合には、地下工作物が道路の直下に設けられている仕組みとなっていました。この運河から直接住宅まで運搬できる方法は、前面道路交通を妨害せず、各住宅から運河が利用できる合理的で面白い方法と思いました。
 このシステムは道路と運河と立体的に交通を住宅に取り入れることのできる3次元の人工地盤インフラの面白い利用例とみることができます。

中世の表通り(運河)と近世以降の表通り(道路)
 そこの地下工作物の中には、「古い運河」に面してテラスがもうけられ、その先に散策路が作られ、そこがカフェーやレストランのアウト・ドア・レストランやアウト・ドア・カフェの一部になって使われていましいた。古い運河沿いに造られた街並みは3階建ての街並みですが、実は地階を含んで4階建ての街並みを形成し、それぞれレンガ建築は、道路側の表の交通と、運河側の表の輸送と、個性的な2段階の交通を取り入れた正面のファサードで、街並み景観を造っていていました。

 運河という水面がユトレヒトの人々にとっての歴史的な玄関になっていたと思います。皆、運画面を眺めることで歴史的な眺めを楽しんでいるように思われました。
 長谷川堯著『都市回廊』の登場する「日本橋で交差する江戸(運河)と明治(道路)の風景を見る思いでした。この街並みの裏側は、通常のヨーロッパの街並み形成と同様、バックアレーに面して勝手口が設けられていました。

ドム教会とドム塔を支える市民文化と路地の機能
 今回訪問した中心の建築物は、街のランドマークであるドム塔とドム教会でした。ドム教会の内部には、ボランタリーの高齢者の教会内部の説明者がいて解説をすることを楽しんでいるようでした。
 一般的には日本人にはよい感情を持っていないいわれるオランダ人が、東洋から来たオランダに関心を持った外国人の私たちに好意を持っていろいろ説明してくれました。この教会が誇る立派なパイプオルガンの由来とともに、ステンドグラスの絵の内容を説明をしてくれました。

 また、こちらが説明者に質問した「祭壇に祭られた棺の主が誰であるか」という質問に関し、それは英蘭戦争のとき活躍したオランドの海軍総督の棺が祭壇に祭られていることを説明してくれました。
 そして、英蘭戦争では英国とオランダが4回にわたって海洋の支配をめぐって雌雄を争って戦ったことを自分の知っている時代のに説明し、祭壇に祭られている提督は、第3回目にオランダの提督であったというオランダ人の誇りであることをこめて説明してくれました。

現代人の生活を豊かにする歴史の宗教建築
 この教会には回廊で囲んで中庭が造られていました。その中庭には高木が植えられていて、その中央には噴水があり、背の低いつげの潅木の若い緑の芽吹いてきれいに伸び始めていました。中庭全体がフランス式の幾何学的な樹形に美しく造園のされていました。

 このドム教会の建築物は、1254年に建設されたオランダ最古のゴシック様式の建築物です。1517年司教区の聖堂となりました。17世紀前半に創設されたユトレヒト大学本部と隣り合って造られていて、全体として豪華な空間を作る形を形成していました。
 ドム教会の前面には、ドム広場と道路を挟んで、鐘楼としてはオランダで最高の高さを誇る高さ112メートルのコシック建築のドム塔がたっていました。昔はドム塔とドム教会がひとつの建築物としてできていたとのことでした。

 ユトレヒトの町はこれらの教会建築や大学の建築物を取り囲んだ形で3階建てや4階建ての建築物がそれぞれの用途に対応した個性的なデザインの建築物として壁を接して造られていて、建築物が空間(無意味な隙間空間)によってぶつ切り離されていることはありません。建物の間に空間がある場合には、ほとんどの場合、それは通路(路地)になってコミュニティ道路として機能しています。

隣棟間空地ゼロの町づくり:欧米の市街地住宅の経済的常識
 今回の街並み調査の中で最も重点を置いて見学してきたことは、人々が豊かさを感じることのできる街並み計画のデザインを発見することでした。
 その中でこれまで半世紀以上こだわってみてきた「建築物間の隙間」に関し特に重点を置いて調査してきました。
 これまでの調査や文献での調査研究でも明らかな通り、ヨーロッパでは市街地建築は基本的に市街地の土地は高価であるため、地価負担を少しでも引き下げるために、土地の高度利用の観点から無駄な土地利用を行わないという原則に加えて、都市は人文科学的に歴史文化を享受できる美しい空間を作ることを最重要視していることです。

 高地価の都市での空間利用として日本の隣等間に無駄に放置されている空地を少しでも有効に利用し、都市な町並み景観に寄与するようにしたらどれだけ良いだろうかと改めて感じさせられました。

常識は国民を貧しくしている日本の戦後のデザイン
 かつて、
1、「歯並びの悪い」顔は醜いことを例に、無意味な建築物間の隙間は街の景観を醜くするという説明を聞いたことがあります。その後、
2、都市の防犯上賊の隠れやすい空間を作らないため無駄な隙間を作るなという説明もありました。
3、隣等間の隙間風が前面道路の歩行者を不愉快にさせることや、
4、隣等間の隙間は都市火災の原因になるという話も聞きました。
5、近年はもっぱらエネルギーロスの問題として連続住宅は独立住宅に比較して50%以上ランニングこそとを引き下げるという説明と、
6、建物の外壁化粧と断熱をする必要がないため、建築工事費を大幅に削減させることができると説明されてきました。

 経済的理由を含め上記七つのどのような観点からみても、「戦後の日本で優れた建築物の設計条件であるかのように間違って行われている4面外壁を作る建築や住宅」は、世界の常識からみて、デザイン的に醜いうえ、機能や性能面からも間違った計画技術であるといってよいと思います。日本でも戦前までは隣地境界線に接して建築物がたてられ、優れた街並みを作ってきました。

次回はゴーダのマルクト広場に出かけた報告です。
(NPO法人住宅生産性研究会理事長 戸谷 英世)

ーーーーーフッター
農楽のすすめ!
http://tateshinadayori2.blogspot.jp/2011/08/blog-post_26.html

”田舎暮らし”動画がYoutubeに300本以上

http://jp.youtube.com/user/takasukey
「街並づくり」の理念にご興味のある方は
http://www.youtube.com/watch?v=nn5OVYAwJnQ

メルマガ「蓼科便り」のアーカイブス
http://tateshinadayori2.blogspot.com/
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
トップに戻る